ミャオの家より

今はいないネコの飼い主だった男の日常

ワタシはネコである(29)

2008-03-04 16:30:08 | Weblog
3月4日 朝、-2度、積雪2cm。今日は、雪が降ったり、やんだりの一日だ。昨日は、周りの景色がぼんやりと霞んで、外の空気もどこか息苦しく感じられるほどの、黄砂に覆われた空だった。
 冬から春への、季節の変わり目は、寒さと暖かさが行ったり来たり。冬の間咲いていたサザンカの花も終わり、今は早咲きの梅がほころび始めたところだ。
 今日はまた、ストーヴの前で、一日過ごすしかない。そんなワタシの体をなでながら、飼い主が話してくれた。
 「一週間ほど前に、オマエが鳥を捕まえてきても、オレはあまり叱らないという話をしたけれど、その訳を、その後すぐに書くつもりでいたのに、なかなか書けなかった。それは、少し考えてしまうような話しでもあるし、辛い気持ちになるから、なかなか踏ん切りがつかなかったのだ。しかしいつまでもそのままにはしておけない。これから話すけれど、聞いてくれ。
 オマエも知っての通り、オレは日本野鳥の会の会員だから、オマエが鳥を捕まえて、オレの目の前に持ってくると、なんとも複雑な気持ちになるのだ。一つには、もちろん鳥たちを守り保護するという立場から、もう一つには、どうしてオマエが鳥を捕まえるかを知っているからだ。
 オマエは家のネコになった若い頃から、よく鳥を捕まえてくることがあった。オレは、ウグイスやホオジロ、ツグミなどのグッタリと傷ついた鳥たちを見るたびに、ネコの本能とはいえ、遊び半分のオマエを叱ったりもしたものだ。
 しかし、おばあさんが亡くなり、オマエだけを残して、北海道に行くようになってからは、鳥を捕まえることについては、もう何も言えなくなってしまった。
 それは、三年前の春に、オレが戻ってきてしばらくたったある日、オマエと一緒に夕方の散歩をしていたときのことだ。途中で、オマエは木陰に隠れて鳥を待ち伏せしたり、穴を見つけてモグラを追い出したり、さらに木の葉の下から何か虫を見つけて、その場で食べてしまったり。
 そのときには、もう毎日ちゃんとエサをやっていたのに。それなのにと思いながら、ふとオレは気づいたのだ。そうだったのか。飼い主がいなくなり、エサももらえなくなり、それでもオマエはなんとしても生きていくために、必死になって食べものを探したのだ。他の人間に頼ることを知らないオマエは、自分だけの力で探し回ったのだ、食べられるものなら何でもと・・・。
 すまなかった。オレが悪かった。ミャオ・・・。周りの景色や足元にいるミャオの姿が、潤んでぼやけてきた。上から落ちてきたしずくに、オマエは振り仰いでオレを見つめて、不思議そうにニャーと鳴いた。
 あの時のことを、オレは今でもよく覚えている。他の人間になかなかなつかないオマエをひとり残して、北海道に行くことの心配はあった。しかし近くの知り合いの人に、時々エサをやってくれるようにと頼んではいたのだが、その人がなんと引っ越していなくなったのだ。
 北海道の真冬のさ中のことで、オレは帰るわけにもいかず、オマエのことを心配してはいたんだが・・・。北海道の友達も、飢え死にするような犬猫はいないと言ってくれてはいたが、春になって戻ってきて、オマエの元気な姿を見てどれほどうれしかったことか。
 それからオレは、せめて冬の間はオマエと一緒にいようと思ったのだ。大好きな冬の北海道にいられないのは辛いけれど、それ以上に、ミャオと一緒にいることは、オレにとっても幸せなことなのだ。
 そうしてオマエと一緒にいるこの冬に、なんとまたオマエは鳥を捕まえて、オレの目の前で食べてしまった・・・そのときのオマエの顔は、いつもの家のミャオの顔ではなかった。それはオマエの悪口を言ってるのではない。オマエの別な一面を見て、飼い主として深く考えさせられたということだ。話が長くなり、残りは次回にしよう。