3月9日 昨日は、日中12度までも気温が上がり、暖かい春の日差しが気持ちよかった。ワタシはその陽気に誘われて、隣の家の屋根に上がり、そこから家のベランダを出たり入ったりして、洗濯、布団干し、掃除と動き回っている飼い主の姿を見ていた。ああ、春だなあ。
今日は、午後から雨になったが、それは今までの冷たい冬の雨ではなく、木々や草花たちを呼び起こす、どこかやさしい春の雨だった。
それでもまだワタシはストーヴの前にいて、夢の中で、サカナのことを思いながら寝ていた。飼い主は、そんな私を優しくなでながら、話しかけてきた。
「ミャオ、そうして寝ている姿は、普通の可愛い家ネコなんだけどなあ。五日前に、オマエが鳥を捕まえる話をしたけれど、それは確かにネコの遊びなんかじゃなくて、生き延びるためにオマエが必死になってやっていたことだと、オレにも良く分かるようになった。
しかし、二ヶ月前のあれには、さすがにオレも驚いた。いいか、この話は、なにも昔のことを持ち出してきて、オマエをとがめようとかする気ではないんだ。ただオマエと鳥の話になると、やはりここで話しておかなければいけないことだと思うんだ。ネコとしてのオマエと、飼い主であるオレの責任の問題として。
あれは、オレが帰ってきて三週間ほどたった12月半ばのことだ。庭木の剪定や、枯葉の掃除などで外にいた時、何か家の中で音がしたようだったので、戻ってみると・・・オレは唖然と立ちすくんでしまった。
ミャオが鳥を捕まえてきて、それも食べているのだ。近寄ってみると、オマエは一声、ニャーと小さく鳴いただけで、ただ食べることに夢中だった。
オレの頭の中を様々な思いがよぎった・・・やめさせるべきか、毎日、十分なエサを、ましてちゃんと大好物の生魚までやってるのに、オレに対する今までの不満のあてつけか。
ミャオのいつもの顔とは全く違う、目が鋭くつりあがり、バリバリと音を立てて食べるさまは、まるで子供のころに見た”怪談、鍋島猫屋敷"に出てきたネコ妖怪の姿を思わせた。オレは黙って、そのまま見つめている他はなかった。そのときに撮った写真がある。
オマエが食べ終わって、ベランダに出て毛づくろいをはじめて、オレはバラバラになった鳥の死骸を片付けた
鳥は哀れなキジバトだった。そのキジバトには、思い出がある。会社を辞めて、バイクで北海道をゆっくりと旅して回ったとき、たまたま立ち寄った民宿で、若い二人の男と出会った。かれらは日本野鳥の会会員で、そのときオレは初めて、野鳥の姿をプロミナ(スコープ)で、目の前で見るかのように覗かせてもらった。なんと生き生きした目、つやつやと光る羽・・・今まで鳥をことさら注意して見ることもなかったオレは、それ以来、野鳥愛好家になってしまった。その時はじめて見たのが、キジバトだったのだ。
それをオマエは食べてしまった。あんな大きな鳥をどのようにして捕まえたのか、などはどうでもいいことだ。ただオマエは、毎日もう十分に食べていても、飢えていた時期の必死な思いが条件反射としてあって、その本能のままに鳥を捕まえただけのこと。
オマエが悪いのではない、飼い猫のオマエをそんな境遇にまで落とした、オレが悪いのだ。すまない。ミャオ。」
わかりましたよ。アナタがそんなに反省しているのは。ただワタシはそんな昔のことなど、グダグダと文句言うつもりはありません。いやなことはサラリと忘れて、もうすぐもらえるサカナのことだけ考える。これがワタシの生きる道ですから。
「昨日?そんな昔のことなんか覚えちゃいない。明日?そんな先のことなんか分からない。」・・・映画「カサブランカ」のボガードのセリフだそうですね。
今日は、午後から雨になったが、それは今までの冷たい冬の雨ではなく、木々や草花たちを呼び起こす、どこかやさしい春の雨だった。
それでもまだワタシはストーヴの前にいて、夢の中で、サカナのことを思いながら寝ていた。飼い主は、そんな私を優しくなでながら、話しかけてきた。
「ミャオ、そうして寝ている姿は、普通の可愛い家ネコなんだけどなあ。五日前に、オマエが鳥を捕まえる話をしたけれど、それは確かにネコの遊びなんかじゃなくて、生き延びるためにオマエが必死になってやっていたことだと、オレにも良く分かるようになった。
しかし、二ヶ月前のあれには、さすがにオレも驚いた。いいか、この話は、なにも昔のことを持ち出してきて、オマエをとがめようとかする気ではないんだ。ただオマエと鳥の話になると、やはりここで話しておかなければいけないことだと思うんだ。ネコとしてのオマエと、飼い主であるオレの責任の問題として。
あれは、オレが帰ってきて三週間ほどたった12月半ばのことだ。庭木の剪定や、枯葉の掃除などで外にいた時、何か家の中で音がしたようだったので、戻ってみると・・・オレは唖然と立ちすくんでしまった。
ミャオが鳥を捕まえてきて、それも食べているのだ。近寄ってみると、オマエは一声、ニャーと小さく鳴いただけで、ただ食べることに夢中だった。
オレの頭の中を様々な思いがよぎった・・・やめさせるべきか、毎日、十分なエサを、ましてちゃんと大好物の生魚までやってるのに、オレに対する今までの不満のあてつけか。
ミャオのいつもの顔とは全く違う、目が鋭くつりあがり、バリバリと音を立てて食べるさまは、まるで子供のころに見た”怪談、鍋島猫屋敷"に出てきたネコ妖怪の姿を思わせた。オレは黙って、そのまま見つめている他はなかった。そのときに撮った写真がある。
オマエが食べ終わって、ベランダに出て毛づくろいをはじめて、オレはバラバラになった鳥の死骸を片付けた
鳥は哀れなキジバトだった。そのキジバトには、思い出がある。会社を辞めて、バイクで北海道をゆっくりと旅して回ったとき、たまたま立ち寄った民宿で、若い二人の男と出会った。かれらは日本野鳥の会会員で、そのときオレは初めて、野鳥の姿をプロミナ(スコープ)で、目の前で見るかのように覗かせてもらった。なんと生き生きした目、つやつやと光る羽・・・今まで鳥をことさら注意して見ることもなかったオレは、それ以来、野鳥愛好家になってしまった。その時はじめて見たのが、キジバトだったのだ。
それをオマエは食べてしまった。あんな大きな鳥をどのようにして捕まえたのか、などはどうでもいいことだ。ただオマエは、毎日もう十分に食べていても、飢えていた時期の必死な思いが条件反射としてあって、その本能のままに鳥を捕まえただけのこと。
オマエが悪いのではない、飼い猫のオマエをそんな境遇にまで落とした、オレが悪いのだ。すまない。ミャオ。」
わかりましたよ。アナタがそんなに反省しているのは。ただワタシはそんな昔のことなど、グダグダと文句言うつもりはありません。いやなことはサラリと忘れて、もうすぐもらえるサカナのことだけ考える。これがワタシの生きる道ですから。
「昨日?そんな昔のことなんか覚えちゃいない。明日?そんな先のことなんか分からない。」・・・映画「カサブランカ」のボガードのセリフだそうですね。