Wind Socks

気軽に発信します。

デジカメ持って小旅行「円如寺と石堂寺」

2009-07-23 15:06:42 | 旅行

 天候は薄曇りでしかも体調が思わしくない。何か頭がぼんやりとしていてすっきりしない。それでも車を運転すると、気にならなくなる。今日は単独行と千葉県内ということもあってのんびりとしたドライブになった。
 前の晩の夕食に天ぷらの献立にして、残りを弁当に詰めた。朝、弁当用に玉子焼きを作った。わたしは、弁当に入れた玉子焼きが大好きなのだ。今回の弁当は海苔をご飯の間に挟んで、いわゆる海苔弁と相成った。テルモスに淹れた熱いお茶とともに車に積み込んだ。
 一人のドライブと言うのがわたしは好きで、車の中で自由に音楽や空想を楽しむ。とは言うものの時速50キロでの話。前車と間隔を空けていて、後ろから追い上げられると、流れに乗らざるを得ない。横に何かとうるさいのがいないのもいい。 国道410号線を走っていて、例によってトイレに行きたくなった。コンビにもいいがお寺や神社にもトイレがあるので、そちらを探す。丁度好都合なお寺の案内板が目に留まった。早速伺うことにした。
         
          円 如 寺 参 道
         
         仁 王 門
         
         本 堂
 そのお寺は、円如寺という。あとで調べてみると、JR内房線の木更津駅から出ている久留里線の久留里駅に程近いところにあった。周囲は里山の風情が色濃く漂い、緩やかな参道を上っていくとスピーカーから読経が流れてきた。赤い地に「奉納 南無観世音菩薩」と白抜きした文字が鮮やかな、おびただしい幟(のぼり)が林立していた。本堂の前にはテントが張られ地元の人が何人か談笑していた。「こんいちわ」の挨拶を交わして、仁王門の写真を撮ったりしてトイレを借りた。今日は何かあるのだろうかと思ったが体調が優れず訊ねもしないで車に戻った。
 このお寺は応永2年《1395年》の開創で、後醍醐天皇の皇子、大塔宮(おおとのみや)護良(もりよし)親王(しんのう)《延慶元年(1308年~1335年)》の子、教慶法親王が開基したという。江戸時代には久留里城主黒田公の祈願所であった。真言宗智山派の寺院で、本尊は大日如来。
 車に戻る道すがら住宅の庭に出ていたご婦人と挨拶を交わした。これは先方から挨拶をされたからだった。道を歩いていると、孫と遊んでいた人からも挨拶を受けた。最近では滅多にないことだ。都市近郊では、空き巣予防の一つに見知らぬ人を見かけたら、挨拶の声をかけるのもいいと言われている。そう言われていても、ほとんどかけられることはない。この村の人はどちらなのだろう。明らかにわたしは、よそ者と分かる。純朴な村の人の気持ちと受け止めたいが、こんなことを考える今時の世相が悲しい。
 なお、円如寺は、関東八十八箇所霊場第55番札所、東国花の寺第102番札所、新上総国三十三観音霊場第8番札所、上総国薬師如来霊場13番札所となっている。
          
           石 堂 寺
          
           本 堂
 同じ国道410号線が太平洋に突き当たり、交差する国道128号線の手前5キロほどのところに石堂寺はある。南房総市石堂302にあるこのお寺は、国指定文化財等データベースの解説文によると「行基が開創したと伝えられる天台宗寺院である。多宝塔は、天文17年《1548年》の建築で、細部の意匠や全体の構成が整っている。関東地方に残る数少ない多宝塔として貴重である」とある。
 約1300年前の和銅元年《708年》奈良の僧、恵命と東照が秘宝アショカの王塔を護持してこの地を訪れ、草庵を結んでこれを祀ったのが始めといわれている。その後、神亀3年《726年》聖武天皇の勅願を受けて行基上人が来訪、仏教によって国を守り安泰にする鎮護国家を作り、それにふさわしい聖山として堂宇を建立。滋賀の阿育王山(石塔寺)、群馬の白雲山(石塔寺)とともに日本三石塔寺に数えられてきた。
 文徳天皇が仁寿元年(851年)には、天台座主慈覚大師円仁が七堂伽藍を造営のときから天台宗となった。しかし、文明18年(1486年)夜盗の災火によって全山が焼失、再建はその50年後ほぼ現在の形になった。戦国時代には、足利、丸、里見等の尊崇を集め、足利三代を教養、関東天台の雄として名をはせてきた。
 天台宗長安山東光院石堂寺には、国指定の文化財として、本堂・永正10年(1513年)建立、厨子・室町時代(1513年)造営、鐘楼・江戸時代(1783年)建立、薬師堂・桃山時代(1575年)建立、多宝塔・室町時代(1545年)建立がある。
         
          旧 尾 形 家
 それに加え寺内に国指定の文化財の、旧尾形家住宅(千葉県安房郡丸山町)が移築されてある。国指定文化財データベース解説によると、「尾形家は中条流の医者尾形宮内を初代とし、その後この地で名主をつとめたこともある家柄の旧家である。この住宅は十八世紀前半に建設された上層農家で、平面は大型農家の一典型を示しており、千葉県内民家の中では重要な遺例である」とある。
 戸はすべて鍵がかけられ外観を観賞するほかなかった。本当は台所や浴室、トイレなども見たかったが。なぜかといえば、人間の生活の基本の部分を見たいと思うからだ。玄関や客間には興味はない。城郭をはじめとして武家屋敷なども、表向きのものをスーッと見せるだけでは、わが好奇心は満足しない。お寺を訪れている間、参拝の人は一人も見かけなかった。ただ、仁王門の向かいにある幼稚園から、子供たちのにぎやかな声が聞こえていた。なお、石堂寺は安房国三十四箇所霊場20番札所になっている。
         
         きれいなあじさいが咲いていた

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« デジカメ持って小旅行「坂東... | トップ | デジカメ持って小旅行「坂東... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

旅行」カテゴリの最新記事