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戦争は誰のために命をかけるのか? 「フューリーFURY’14」劇場公開2014年11月

2015-03-13 15:56:07 | 映画

              
 残酷さにおいて類を見ないと思うような戦争映画。1945年の第二次世界大戦アメリカとナチス・ドイツの攻防を描く。

 ドン(ブラッド・ピット)を車長に砲手ボイド(シャイア・ラブーフ)、操縦手トリエー(マイケル・ペーニヤ)、装弾手グレイディ(ジョン・パーサル)副操縦手がいたが戦死をとげその後任に軍事務所でタイプライターを打っていた新兵のノーマン(ローガン・ラーマン)が配属されてくる。

 ノーマン以外は歴戦の勇士で、過酷な戦場経験は仲間意識の絆で結ばれている。ノーマンが配属されて態勢を整えたフューリー(FURY)=激情と名前がつけられたシャーマン(M4A2EB)という戦車が、寝食を共にするといっていいもう一つの仲間だった。

 当時の戦車だけの比較ではドイツの方が優勢だった。なにせティーガⅠという重量57トン、前面の装甲は100mm、側面と後面の装甲の厚さ80mm、側面下部60mm、上面と底部25mmという重戦車だ。言うなれば大型トラックと乗用車の戦いだ。

 不利とはいえドイツ親衛隊に憎しみを持つドンの戦意に陰りは見えない。いくつかの戦闘場面と最後の十字路死守の攻防が圧巻だった。

 ある町に進攻する道の電柱に絞首された人体がいくつも連なっていた。首からプレートがぶら下がっている。そこには「国のために戦うことを拒否した卑怯者」と書かれてあった。町の中にもいくつも人体がぶら下がっていた。
 この町にもドイツ兵の残党がいた。引き出される中に親衛隊員がいた。「こいつが吊るしたやつか?」ドンが叫ぶと「そうだ」の返事。「すぐぶち殺せ!」とドンは容赦しない。

 この町でノーマンは、ひと時の安らぎを覚える。それはエマ(アリシア・フォン・リットベルク)と出会ったからだ。ところが、ドイツが反撃の砲弾を撃ち込んできた。運命は皮肉なものでエマのアパートが直撃弾を受け崩壊、エマは即死だった。

 この二人が平和な時代に会っていれば幸せな生涯だったかもしれない。が、戦争があったからこそ出会ったとも言える。運命の神は、冷酷な時もあるようだ。

 戦車同士の戦いも見ものだ。ドイツのティーガは重くて小回りが利かない。そこでシャーマンに乗るドンは装甲の薄い後部を狙う。この一騎打ちが面白い。

 「動くものは何でも撃て」とか塹壕のドイツ兵を「踏み潰せ」と命じキャタピラーは容赦なく通過。総じて残酷な描写の多い映画ではあるが、戦争というものが如何に人間を変えてしまうのか。それをノーマンを通じて語っているように思う。

 そして最後の十字路での親衛隊とのバトルは、ノーマンだけが生き残る。300人を超えるドイツ親衛隊がやって来る。地雷を踏んでキャタピラーを破損したシャーマンに残って戦うか、逃げるか。
 ドンは命令だから死守するといって聞かない。一人でも戦う。結局、全員で戦うわけだが、国家のためではなく戦友を見殺しに出来ないから共に命を賭ける。

 「理想は平和だが、歴史は残酷だ」と言うセリフがあるが、こういう友のために命を失った兵士がいたからこそ今の平和がある。それを忘れてはならないだろう。

 2013年9月から11月までイングランドで本物のティーガを使って撮影された。ブラッド・ピットも、もう52歳。渋みが出てきた。この映画、ドイツでは公開されるのだろうか。ナチス・ドイツが対戦相手だから公開されるのだろう。
          
          
          
          

監督
デヴィッド・エアー1968年イリノイ州生まれ。

キャスト
ブラッド・ピット1963年12月オクラホマ州生まれ。
シャイア・ラブーフ1986年6月ロサンジェルス生まれ。
ローガン・ラーマン1992年1月カリフォルニア州ヴェバリーヒルズ生まれ。
マイケル・ペーニヤ1976年1月イリノイ州シカゴ生まれ。
ジョン・パーサル1977年9月ワシントンDC生まれ。
スコット・イーストウッド1986年3月カリフォルニア州カーメル生まれ。
アリシア・フォン・リットベルク1993年12月ドイツ生まれ。

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