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デジカメ持って小旅行「坂東三十三箇所霊場8番札所星谷寺(しょうこくじ)」

2009-06-07 07:05:41 | 旅行

           
 座間市・星谷寺から逗子市・岩殿寺(がんでんじ)まで合計六寺を巡る計画で、自宅を午前五時に出発した。今日の空模様は、快晴とはいえない。濃霧注意報が出ているので、なんとなくかすんで見える空だった。
           
            早朝の首都高は順調
 早朝とはいえ東京都内の一般道は時間がかかる。いっきに川崎あたりまで行っておきたいので、わたしの趣旨に反するが、首都高区間を利用することにした。
           
            ガラ空きの川崎線
 千鳥町から川崎浮島JCTまでの計画が、川崎浮島JCTでどこをどう間違えたのか、川崎線に乗り入れていた。
 5キロにも満たない短い距離なのに600円の料金。地元の人は利用しないのか、ガラ空きの道路を終点で国道409号線に降りて、国道15号から16号、467号線へと走るが、丁度通勤時間帯ということもあって、どこも車で溢れていた。
 年齢のせいかあるいは早朝で少し冷えるためか、小用を催して467号線でファミリー・レストランかコンビニを探したが意外にこれらが無い。この467号もトラックの数が多く渋滞気味だった。一般道愛好者ではあるが、いささかうんざりとしてきた。
 ところで小用のほうであるが、適当に左折すると公園があった。そこのトイレに行くと、なんとシャッターが下りていて9時にならないと使用できない仕組みになっていた。いやあ、本当に参ったね。仕方がないから、男の特権を行使して、公園の茂みで立ちションと相成った。
 渋滞とトイレ探しや道に迷うという散々な行程を経てようやく午前10時半に星谷寺に着いた。本尊が聖観音のこのお寺は、もとは寺の北東にある山頂(現在の座間谷戸山公園・伝説の丘)にあった観音堂の別当寺として建立されたもので、観音堂とともに行基によって創建されたと伝えられる。観音堂は鎌倉時代に焼失し、現在地に移されたといわれ、江戸時代には幕府から朱印状も与えられていた。(寺伝はウィキペディアより引用)
           
 国の重要文化財として指定されているのが、梵鐘(ぼんしょう)である。掲示板によると「喜禄三年(1227年)銘の本鐘は、全国現存の梵鐘の中で五十番目、関東以北では茨城県土浦市の等覚寺の建永年間(1206年~1207年)についで二番目に古く、鐘を撞く際の撞座(どうざ:辞書にはないが、一般には使われている)が一ヶ所のみであることから、江戸時代より“奇鐘”として有名でした。優雅な平安時代の面影を残すとともに、鎌倉時代の特徴も備え金工史上重要なものです」とある。
                
                阿形仁王像
                
                吽形仁王像
 このお寺には仁王門がない。その代わりといっていいのだろうか、入ってすぐのところに阿形(あぎょう)と吽形(うんぎょう)の一対が露天で睨みを利かせていた。わたしたち以外にも参拝者の姿が見えた。ちなみにこのお寺は、空海が開祖した真言宗の古義真言宗系大覚寺派の寺院である。
コメント
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