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湧永庭園
夕刻から本格的に雨が降り始めた。苗を植える、種を播く時節の雨はありがたい。夏・秋の収穫が楽しみだ。気を良くして島田虔次郎著「朱子学と陽明学」(岩波新書)を読み始める。朱子の「性即理」と陽明の「心即理」ついて、いまだ理解に曖昧さが残っている。
『程伊川の「性即裡」と張横渠の「心ハ性ト情トヲ統ブ」という二つの言葉は、朱子にとって、いわゆる「たたいてもどうしても破れっこない大真理」なのである。朱子の倫理説をひとことでいえば「性即理」の三文字にほかならないことは数百年来の定説であり、この定説と陸象山・王陽明の「心即理」とのたたかいこそ中国思想史上、最大の壮観なのである。』島田虔次郎著「朱子学と陽明学」(岩波新書)
「性即理」を理解できたら中国思想史上最大の壮観を理解できたことになるらしい。曖昧さを残しつつも、かろうじて立ちはだかる「性即理」という大きな壁を感じとることができるようになったと、都合のよいように解釈して新書を閉じた。日本国語大辞典によれば、壮観とは「ながめの壮大なこと。また、そのさま。すばらしいながめ。立派なみもの。大観。偉観。」の意。