旅路(ON A JOURNEY)

風に吹かれて此処彼処。
好奇心の赴く儘、
気の向く儘。
男はやとよ、
何処へ行く。

"若い"老齢科学者

2012年05月21日 14時53分21秒 | Weblog

「日本では、年を重ねて一層活発に研究している研究者も数多くいるのに、60~65歳という一律の定年で研究・教育生命をとめてしまう。これは人材の有効活用とはいえない。生物学的には高齢であっても能力的にはいつまでも若い研究者には、続けて活躍できる場を提供する必要がある。"若い"高齢研究者の処遇は今後の重要な課題のひとつになるに違いない。」黒田玲子著「科学を育む」(中公新書)から引用のうえ一部を改竄。

研究者だけの話にとどまらない。私とて"若"い中高年のひとりとして生物学的年齢でビジネスマン生命をとめられたくはない。本日、就職戦線復帰の第1弾面接があった。この度はうまく持ち味を出すことができたように思う。嫌いな(想像の)「思う」を使わざるを得ないのは、先入観であろうがコネクションであろうが総合的に判断しようが、その採否を決める権利は採用する側にのみ存するからだ。

明日は就職戦線復帰第2弾の面接(2次面接ではない。別途の求人だ。)がある。第1弾と第2弾の面接日時が今日と明日につまった。一方が不採用で一方に採用が決まれば問題はない。採用通知をくれた方で働く。両者ともに採用が決まったらいづれを選択するかに苦慮しそうだし、両者ともに不採用ならば職探しという奈落に逆戻りだ。
   

海舟

2012年05月21日 11時35分21秒 | Weblog
龍馬に短銃を渡した高杉晋作や思想行動ともに行き違いが多い武市瑞山との関係、私淑した勝海舟は勤王の土佐藩からみれば宿敵に当たる。特に横井小楠をはじめとしたイデオローグたちとの交流は海舟の人脈に依っている。

「大政奉還を建白したのは、やはり大勢を洞観しての卓識か、またはただ小策に出たものですか。」という問いに対して、「あれは、坂本がいたからのことだ。土佐はそれまで日和見をしていた。」と海舟は述懐している(「海舟座談」岩波文庫)。龍馬は幕府、宮家、土佐藩・薩摩藩・長州藩の利害調整の役を担った。宮家と幕府に顔が利くようになったのは海舟の力に依るらしい。