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ポテト姫の気まぐれ雑記 part2

つれづれなるままに、気ままに綴るエッセイ集

「ジョージア行進曲」の話

2021-02-25 | 音楽話



 前回の記事にて、「源兵衛さんの赤ちゃん」の話を書いたところ、コメントを書いてくれた方から、色々と情報が集まりまして、私も引き続き調べてみたところ、更に色々とわかってきたので、書いてみたいと思います。(^^)

 まず私は、大学時代のサークル活動で「源兵衛さんの赤ちゃん」という曲を知りました。(^.^) その曲は、関西学院グリークラブの指導者だった方が、編曲されたそうです。(昭和24年頃)
 でも、その男声合唱バージョンを知ってる人は、関係者くらいみたいで、より多くの人が知ってるのは「東京節(パイノパイノパイ)」の方らしいですね。
 検索すると、「なぎら健壱さん」たちが歌ってるバージョンの動画が出てきます。
(^.^) 





 その歌を作ったのは「添田知道」さん
という方で、「添田唖蝉坊」という演歌師の御子息で、やがてはその方も「演歌師」として活躍したそうです。




 その添田知道さんが「東京節」を作ったのが1918年(大正7年)だそうで、解説によると、彼が19歳の時だそうですが、私の計算では17歳…。(・・;)
 それが巷で大流行し、要望に応じて、別の歌詞の「平和節」ってのも作ったそうです。それが1919年(大正8年)。
 その後は、関西方面でも、色々なバージョンが作られたとか?
 後半の歌詞の「♪ ラメちゃんたら、ギッチョンチョンで パイノパイノパイ〜」の「ラメちゃん」とは、父親の人生観だった「どうせ浮世は出鱈目だ!」のフレーズから取ったとのことです。「デタラメ」→「ラメ」

 その添田氏が「東京節」作る前に、そのメロディは知っていたそうです。それは、明治時代に流行っていた「軍歌」の「ますらたけお」という曲で、幼少期に周りの子どもたちから、囃し立てられた時に、そのメロディで言われた記憶があり、それを使ったそうです。
 その「ますらたけお」は、国文学者の「東宮鉄真呂」という人が、1892年(明治25年)に作詞した作品。






 では、そのメロディの方ですが、作ったのは、アメリカの「ヘンリー・クレイ・ワーク」(1832〜1884)という方。



 この方、調べてみると、なんと、アメリカでは「フォスター」と並ぶ人気作曲家だそうで。(^^;
 他の作品を見て、ビックリ! 「調子をそろえてクリック・クリック・クリック」という曲は、昔よく、給食の時間にかかっていた思い出があります。そして、なんと、あの「大きな古時計」も、この方の作品だったとは! (°_°)
 この曲に関しても、色々と情報が出てきたので、この件に関しては、また次の記事にアップしたいと思います。(^.^)

 さて、この「ジョージア行進曲」(1865年)は、その後も、ドリフターズとか、色んな方々にカバーされ、CMソングにも多数使われてきているようです。(^_^*) 今回、私が「気になった」のも、元々「人気のメロディ」だったから、なんでしょうネ。
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2 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

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よみがえり (子猫)
2021-02-25 21:43:58
私が小学生になる前に「東京節」を唄っていた理由がなんとなくわかりました。おそらくエノケンこと榎本健一さんが唄っていたのをラジオで聴いてのことだと思います。そのころ”ラメチャン”というのは人の名前だと思っていました。
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Unknown (ポテト姫)
2021-02-26 11:29:45
子猫さん
 私も「ラメちゃん〜」のフレーズを聞いて、なぜか「知ってる」と思いました。(^^)
 検索すると「エノケン」さんの歌も出てくるから、たぶん、子猫さんが幼少期に聴いたであろうことも、想像できますネ。(^.^)
返信する

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