前回の記事にて、「源兵衛さんの赤ちゃん」の話を書いたところ、コメントを書いてくれた方から、色々と情報が集まりまして、私も引き続き調べてみたところ、更に色々とわかってきたので、書いてみたいと思います。(^^)
まず私は、大学時代のサークル活動で「源兵衛さんの赤ちゃん」という曲を知りました。(^.^) その曲は、関西学院グリークラブの指導者だった方が、編曲されたそうです。(昭和24年頃)
でも、その男声合唱バージョンを知ってる人は、関係者くらいみたいで、より多くの人が知ってるのは「東京節(パイノパイノパイ)」の方らしいですね。
検索すると、「なぎら健壱さん」たちが歌ってるバージョンの動画が出てきます。
(^.^)

その歌を作ったのは「添田知道」さん
という方で、「添田唖蝉坊」という演歌師の御子息で、やがてはその方も「演歌師」として活躍したそうです。

その添田知道さんが「東京節」を作ったのが1918年(大正7年)だそうで、解説によると、彼が19歳の時だそうですが、私の計算では17歳…。(・・;)
それが巷で大流行し、要望に応じて、別の歌詞の「平和節」ってのも作ったそうです。それが1919年(大正8年)。
その後は、関西方面でも、色々なバージョンが作られたとか?
後半の歌詞の「♪ ラメちゃんたら、ギッチョンチョンで パイノパイノパイ〜」の「ラメちゃん」とは、父親の人生観だった「どうせ浮世は出鱈目だ!」のフレーズから取ったとのことです。「デタラメ」→「ラメ」
その添田氏が「東京節」作る前に、そのメロディは知っていたそうです。それは、明治時代に流行っていた「軍歌」の「ますらたけお」という曲で、幼少期に周りの子どもたちから、囃し立てられた時に、そのメロディで言われた記憶があり、それを使ったそうです。
その「ますらたけお」は、国文学者の「東宮鉄真呂」という人が、1892年(明治25年)に作詞した作品。


では、そのメロディの方ですが、作ったのは、アメリカの「ヘンリー・クレイ・ワーク」(1832〜1884)という方。

この方、調べてみると、なんと、アメリカでは「フォスター」と並ぶ人気作曲家だそうで。(^^;
他の作品を見て、ビックリ! 「調子をそろえてクリック・クリック・クリック」という曲は、昔よく、給食の時間にかかっていた思い出があります。そして、なんと、あの「大きな古時計」も、この方の作品だったとは! (°_°)
この曲に関しても、色々と情報が出てきたので、この件に関しては、また次の記事にアップしたいと思います。(^.^)
さて、この「ジョージア行進曲」(1865年)は、その後も、ドリフターズとか、色んな方々にカバーされ、CMソングにも多数使われてきているようです。(^_^*) 今回、私が「気になった」のも、元々「人気のメロディ」だったから、なんでしょうネ。
私も「ラメちゃん〜」のフレーズを聞いて、なぜか「知ってる」と思いました。(^^)
検索すると「エノケン」さんの歌も出てくるから、たぶん、子猫さんが幼少期に聴いたであろうことも、想像できますネ。(^.^)