封鎖は威嚇とその後の侵略にまで拡大した。漁民らは中国沿岸警備隊が放水銃で彼らを追い払うと報告した。岩礁へのアクセスが不確実となった。Zambales州から150浬先にあるこの岩礁の所有が失われた。
この封鎖に対しマニラはハーグの恒久裁判所にこの問題を提訴した。今年7月にはマニラ川の勝訴とした。中国の海事領有権主張はフィリッピンの200回排他的経済水域に入り込んでいると認められた。
しかし中国はその後もその裁定を無視し、岩礁地帯にやってくるフィリッピン漁民を阻止した。
大統領選の期間、Duterteは フィリッピンの見解を主張するとした。もし必要なら、ジェットスキーで南シナ海に乗り出しフィリッピン国旗を掲げると冗談を言った。しかし選挙の後、Duterteは中国ではなくフィリッピンの同盟国である(かつての植民地支配者の)米国をこき下ろした。オバマ大統領の残酷な薬物との戦に対する批判を払拭し、大統領を「娼婦の息子」と呼び、さらに米国からの経済的軍事的分離にまで言及した。
北京では中国首脳に「あなたのイデオロギーの流れに自分自身を再調整した」とあたり、「常にあなたを頼りにする」とまで発言した。彼は240億ドル相当の資金調達および投資コミットメントを中国から引き出した。そして彼は「数日待てばよい」「スカボロー礁に戻ることができる」と発言した。