私は初老男である。
人間は「初老」になると、ささやかな「悦び」をもらえることがある。
若いときに疑問に思っていたことの「答」が、ある日突然見つかるのだ。
それは本当にうれしいものだ。
ことに「知的好奇心」を満たされる時に、初老男はえも言われぬ悦びを感じるのだ。
私のライフワーク(カテゴリーの「ライフワーク」を参照)の、スピンオフ的な興味として「東アジア史」がある。
「大東亜戦争」(太平洋戦争とは呼ぶべきでない)の、最大の山場はもちろんアメリカとの太平洋をはさんだ海とその周辺の群島での戦闘だろう。
しかし、そのアメリカとの戦争の大義名分にしていたものが「東アジアでの共存共栄」いわゆる「大東亜共栄圏」であった。
となれば、日本を恐怖に陥れた維新期の「阿片戦争」での「清国の没落」が直接的間接的に日本を戦争に突き進ませた原因でもある。
つまり、中国を中心とした「韓国・北朝鮮・台湾」の歴史自体が、大東亜戦争に大きく関わっていることを無視して話は進められない。
前置きが長くなったがタイトルの通り、3冊の中国関係の本を読んで目から「ウロコ」がおちだのだ。
「私はなぜ『中国』を捨てたか」「中国人の正体」 石 平著
「中国人と日本人」 邱 永漢著
の3冊だ。
これまで中国に関心を持ち、若いときには「憧憬」さえも感じていた私が、どうしても理解できなかったことをこの3冊の本は完全に解決してくれた。
前2冊を書いた「石平」氏は、ほぼ私と同時代の帰化日本人であり、毛沢東・共産党に「人民解放」の夢を託し、無残に砕け散ったことの反動で日本の本当の良さを日本人よりよく理解している。
後1冊の「邱永漢」氏は、今調べたところつい先日5月に逝去しているが、この本を私はもっと若いときに読んでいれば、数十年も悩まずに済んだのに・・・。と悔しい思いをさせてくれた株の名人で「金儲けの神様」である。
様々なドキュメント番組を録画し、それに関連した本などを読んでほぼ暗誦できるくらいに「毛沢東」から「小平」時代までの中国史を勉強した。
しかし、どうしても「或る一点」において判断を下せない事象があった。
それをこの3冊は完全に言い切っている。
そう「毛沢東は『善人』ではない」と言うことを。
共産党と言う道具は彼の欲望を満たすために使われた道具だということを。
中国と言う大国に新しい時代を開いたのは、そうした「私欲」を極力抑えることのできる人だと私は信じていたかった。
現に日本においては、記憶・記録に残る政治家・偉人はほぼこの定義が当てはまる。
人口が多く、頂きにいる政治家がこうした人間だと国民は本当に不幸だということ。
あまりに興奮しすぎて、まとまらない。
最後にこの3冊の本から、私が一番教えられたことを記して次回以降につなぐことにしよう。
東アジアの国々において「国」を一番信頼しているのは「日本人」だということ。
中国人は「国・共産党」など、信じてはいないということ。(正確に言えば長い歴史の中で信じることができなくなってしまったと言うこと)
私たち日本人は「世界に誇れる豊かな心」を持っているということ。
しかし、中国人と付き合うときは、その「豊かな情感」など何の意味もないということ。
今回も最後までお付き合いいただきありがとう。これを読んでいる皆さんも歳を重ねることに、得も言われぬ「悦び」が待っていることに気が付きますように。
May
中国人は私の憧れてた「大陸的仙人」ではなく、時代に翻弄された「憐れな農奴」ばかりなのだ・・・。
人間は「初老」になると、ささやかな「悦び」をもらえることがある。
若いときに疑問に思っていたことの「答」が、ある日突然見つかるのだ。
それは本当にうれしいものだ。
ことに「知的好奇心」を満たされる時に、初老男はえも言われぬ悦びを感じるのだ。
私のライフワーク(カテゴリーの「ライフワーク」を参照)の、スピンオフ的な興味として「東アジア史」がある。
「大東亜戦争」(太平洋戦争とは呼ぶべきでない)の、最大の山場はもちろんアメリカとの太平洋をはさんだ海とその周辺の群島での戦闘だろう。
しかし、そのアメリカとの戦争の大義名分にしていたものが「東アジアでの共存共栄」いわゆる「大東亜共栄圏」であった。
となれば、日本を恐怖に陥れた維新期の「阿片戦争」での「清国の没落」が直接的間接的に日本を戦争に突き進ませた原因でもある。
つまり、中国を中心とした「韓国・北朝鮮・台湾」の歴史自体が、大東亜戦争に大きく関わっていることを無視して話は進められない。
前置きが長くなったがタイトルの通り、3冊の中国関係の本を読んで目から「ウロコ」がおちだのだ。
「私はなぜ『中国』を捨てたか」「中国人の正体」 石 平著
「中国人と日本人」 邱 永漢著
の3冊だ。
これまで中国に関心を持ち、若いときには「憧憬」さえも感じていた私が、どうしても理解できなかったことをこの3冊の本は完全に解決してくれた。
前2冊を書いた「石平」氏は、ほぼ私と同時代の帰化日本人であり、毛沢東・共産党に「人民解放」の夢を託し、無残に砕け散ったことの反動で日本の本当の良さを日本人よりよく理解している。
後1冊の「邱永漢」氏は、今調べたところつい先日5月に逝去しているが、この本を私はもっと若いときに読んでいれば、数十年も悩まずに済んだのに・・・。と悔しい思いをさせてくれた株の名人で「金儲けの神様」である。
様々なドキュメント番組を録画し、それに関連した本などを読んでほぼ暗誦できるくらいに「毛沢東」から「小平」時代までの中国史を勉強した。
しかし、どうしても「或る一点」において判断を下せない事象があった。
それをこの3冊は完全に言い切っている。
そう「毛沢東は『善人』ではない」と言うことを。
共産党と言う道具は彼の欲望を満たすために使われた道具だということを。
中国と言う大国に新しい時代を開いたのは、そうした「私欲」を極力抑えることのできる人だと私は信じていたかった。
現に日本においては、記憶・記録に残る政治家・偉人はほぼこの定義が当てはまる。
人口が多く、頂きにいる政治家がこうした人間だと国民は本当に不幸だということ。
あまりに興奮しすぎて、まとまらない。
最後にこの3冊の本から、私が一番教えられたことを記して次回以降につなぐことにしよう。
東アジアの国々において「国」を一番信頼しているのは「日本人」だということ。
中国人は「国・共産党」など、信じてはいないということ。(正確に言えば長い歴史の中で信じることができなくなってしまったと言うこと)
私たち日本人は「世界に誇れる豊かな心」を持っているということ。
しかし、中国人と付き合うときは、その「豊かな情感」など何の意味もないということ。
今回も最後までお付き合いいただきありがとう。これを読んでいる皆さんも歳を重ねることに、得も言われぬ「悦び」が待っていることに気が付きますように。
May
中国人は私の憧れてた「大陸的仙人」ではなく、時代に翻弄された「憐れな農奴」ばかりなのだ・・・。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます