Fish On The Boat

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『歌うクジラ 上・下』

2019-05-20 21:04:46 | 読書。
読書。
『歌うクジラ 上・下』 村上龍
を読んだ。

ユートピアとして実現したディストピアの未来を舞台とした、
ひとりの少年が主人公の冒険小説。

細部にわたって練られた未来世界。
そのシステムや背景までもが
現代から順を追って論理的に積み上げられ、形作られています。
それが数えきれないくらい多岐にわたる選択肢のひとつを辿らせたものだとしても、
そこには説得力があり、
現代と地続きにクリエイトされている。
だから、この小説の世界観に悪酔いもしてしまうのです。

猟奇的な殺人描写や暴力や、性描写や性暴力の描写がたくさんでてきます。
「現代をオブラートで包んでいる」と解説で吉本ばななさんが書いていらっしゃるとおり、
物語としてはそうなのだと思うのですが、
エロやグロやバイオレンスを物語の表面に刻んでいく手法は、
オブラートに包むというよりは、
現実にタトゥーをいれる方法で物語にしているようにも感じられました。
倒錯というか逆説というか、複雑というか作家独自の手法なのかもしれない。
昔からよく言われているように、脳に直接響くような文体と相まって、
この手法によって、物語や文章のインパクトが強くなっていて、
ときに心理的にダメージを受けもします。
読み手に対して爪痕を残すようなところがある。

しかし、文章をひとつずつ見ていくと、
内容としては難解な箇所はあっても、
文章を読む行為に対しては比較的バリアフリーというような、
やさしい文章で書かれています。
くだいて、わかりやすく、
これは人に伝えるためのものなのだ、ということがはっきり意識されています。
それは伝える内容のイメージがとても強いがためなのもありそうです。
僕も、自身の文章を推敲する時には参考にしようと思いました。
わかりやすさを考え、文章それ自体の難易度は低くすること、ですね。

本作の印象は、村上龍という作家がさらに全力をぶつけてきたな、というものです。
それは本作の内容の、甘さの無さにも表れていると思いました。
それは、プロフェッショナルであることのひとつの極致だろうと。
もう、いろいろと大きな選択肢を見てとれる分岐点にはいないのです。
選択したあと、その道を突き進んで、
分岐点からからなり離れた場所で見えたものや、
そこにいたるためにとられてきた姿勢などが、
物語の吐く呼気に濃く含まれているような感じがします。

主人公・タナカアキラのたどる冒険には甘さがみじんもありません。
だからといって、そのような苛烈な状況を、
運の良さだけでくぐりぬけてきたようには書かれていません。
想像し、思考し、勇気を持ち、冷静でいることでなんとか物語が進む。
そして、そこで培われた知見、それは移動が大事なのだということ。
いろいろな人を知ることが大事なんだ、とよく言われますが、
またちょっと角度の違う方向から
そういうことが語られているような読め方もするのですが、
違う角度から違う景観として見えてくるので、
新鮮さと気づきが得られる。

とまあ、そんなところなんですが、
上巻の半分くらいまでを読んだ時点では、
殺人描写などが激しくて、もう勝手にやってくれと思うくらいでした。
いったい、なんの意味があるのだろう、と
「これが変態小説なんじゃ…」なんて思ってしまうくらい。
でも、佳境を迎え、それから結末を読み終えると、
たしかにそこには光るものがあるのでした。
疲れはするけれど、最後に宝箱は開く。

僕からは、万人におすすめできないなあと思いながらも、
挑戦者的なひとは一度チャレンジしてよいと思います。




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