Fish On The Boat

書評中心のブログです。記事、それはまるで、釣り上げた魚たち ------Fish On The Boat。

構造解釈

2005-04-07 22:59:25 | 考えの切れ端
日本の音楽にはリズムが無い、というのを読んだか聞いたかしたことがある。
古来よりの、和の音楽についてだ。

音楽自体へは右派であるよな僕の、自分が好み紡ぎたい音楽はリズムに欠けるものだった。
ニッポン人としての血の濃さがうかがえるものだ。

構造は力を生むという。構造自体が力を作る。
日本人として、日本の構造による力に動かされているのはどんな部分でだろうかと、ふと思う。
言語の構造的力もあるだろうし、風土によるものもあるだろう。
どんな音を日常聞いているか。どんなものを見ているか。味覚や嗅覚にどんな刺激を受けているか。
伝達手段、表現手段の構造的特性による思考回路の構築のされ方。
また、共同体においては、それらが集合体と化して力を増すんじゃないか。常識という形だとかで。
そういった、実は形式的とも言える「器」の中で、人がはぐくまれる。
適応という形で、「器」からの力を受けざるを得ない。
そうやって、リズムは育たないのだが、マス・メディアの発達で変わってくるわけで。
各人によって、器が変わってくる。器を作る技術をある程度持てるようになってきたわけだ。


ま、これは鎖国終了までの話なのかもしれないけれど、なんとなく頭打ち感を感じるのでね、
確認したいことなんだ。


「器」の選択が多様になる、はずだった。しかし、その選択肢すら、多様というにはほぼ遠い、
少ないものだった。個人で全部ひっくるめられちゃうような。あるいは、それまでの「器」が
強大で、新しく入ってきたものを全て侵食するくらいの力をもっていた。
オルタナティブなものが無かった。
オルタナティブなものを理解する術を持たなかった。
オルタナティブなものを、「器」の力がはねのけていた。

しかし、時間は細分化と多様化を加速させていく。
一番の土台であった、日本の「器」の上に新たな「器」が出来て、そのまた上に新しい「器」ができていく。
そうやって、血が薄まっていくように、元々の「器」の力は弱まっていくはずだ。
だけど、日本人が古来から黄色人種であることが変わらないように、
日本という言語や風土からの影響力を受けなくなることはないと思う。

しかし、風土だけを言えば、それは土地が「表現」しているものと捉えることもできる。
「表現」の解釈は、一つの答えしかない試験問題ではなく、いろいろな捉え方があって良い。
多種多様でいいのだが、もっともらしい唯一的解釈を見つける人もいる。
文明開化の時代まではぐくまれてきたものっていうのは、優れた感性を持つ先達が同じようなものを
見出してきたからなのだと思う。
ただ、それは、受け手としてのスタンスが強かったんじゃないだろうか。
そこは、現代に比べて科学の力が弱くて、宗教の力が強かったことに理由があるかもしれない。

現代は風土や言語に、いろいろ持ち込むことが出来て、クリエイトできる。
それが構造を変化させるチャンスなんじゃないかな。構造変われば、受ける影響も変わるわけで。
よりよい方向へ導けるヴィジョンを持ち、それを実現するために、言語や風土に何を持ち込めば良いか
をわかり、実行できる人ってすごいなぁと思うのです。
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