Fish On The Boat

書評中心のブログです。記事、それはまるで、釣り上げた魚たち ------Fish On The Boat。

『悪戯な双子たちの思い出』(自作小説)

2023-02-12 11:47:41 | 自作小説16

 少し茶ばみの見え始めてきた網戸越しに虫の声の響いてくる九月初めの夜の深みの頃。僕はぬるいシャワーを浴びた後のとっちらかった濡れ髪にバスタオルをこすりつけながら、Tシャツとトランクス姿で誰もいない暗がりの居間に戻ってきた。そのままガラス製のテーブル上のリモコンを手に取り、壁際にあるテレビのスイッチをつける。画面から放たれる淡い光線が薄っぺらく部屋に漂った。隣の寝室で寝入っている妻の香奈子を気づかって、急いでその音量をしぼりにかかる。香奈子が起きないことを願うゆえに、音量が小さくなるまでの短い間、発せられる大きな話し声やBGMに息が止まってしまう。そうして香奈子の目覚めた気配がしないことを確かめると、ゆっくりとソファに身体を埋め、画面から放たれる淡い光を浴びた。すぐさま、尻が汗ばんでくる。傍らの扇風機のスイッチを押した。
 肌に擦りついてくるのをはっきりと感じるくらいの重たく湿った密な空気が充満している。まるで、空気がどうにかしてでも固体になりたいという強い夢を持っていて、神様か仏様か誰か、とにかく形而上(けいじじょう)的な何かがその夢をひと時汲んであげたかのようだった。そんな空気を吸いながら、テレビのニュース番組をしっかり見る感じでもなく映像の映り変わりをただ眺めていた。エアコンを装備している家庭の少ない北国のこの町で、この時期では珍しいほどの、ベッドに横になって寝苦しくなるだろう夜だった。
 ニュース番組はスポーツの結果を伝え終え、それから長いCMを経て、その夜の特集を流し始めた。画面上では若いボクサーがスパーリングしている。プロデビュー後3戦3勝の経歴でフライ級に属するボクサーだ。これくらいの成績でニュース番組に取り上げられるのだから、すべて派手な1ラウンドKOだったりするんだろうか、とぼんやり考えながら眺めているとそうではなく、それに続いた内容は、このボクサーの一卵性双生児の弟が兄に続いて先日プロデビュー戦を勝利で飾ったというものだった。弟もフライ級だった。
 二人とも卓越した才能を持っていて、近い将来チャンピオンベルトを賭けて双子同士で闘う可能性が色濃く有り、周囲の期待も相当なものである、というようなことを番組のナレーターは静かなトーンで淡々と語った。
 僕は冷蔵庫から冷えた缶ビールを取り出して喉を鳴らす。双子、と聞いて頭がもやもやし出していた。言葉にまとまる以前の考え事というか思念というかが急に僕をとらえてしまったのだ。ついにはニュース番組への集中力がぶっつりと途切れ、右手で冷たいビールの缶を握ったまま元のソファに再度深く腰を落とした。双子か。そういえば、と記憶が追いついてくる。あれは昭和から平成へと元号が変わった年、中学一年の頃だった。

 僕が今住んでいる北海道のこの町と面積や人口などの規模はそれほど変わらないのだけれど、この町よりももっと北東に位置するもう少し涼しい町で僕は生まれ、中学までを過ごした。
 その町の中学校の二学期が始まる日に、僕らの学年に双子の転校生がやってきた。三つあるクラスのうち、A組に金森昭人(あきと)が、僕のいるC組に金森隆人(たかと)が転入してきたのだ。一卵性の双子だった。
 双子はともに痩せていて平均的な背丈をしていた。そしてともにあまり口を開かない性質だった。とはいえ、双子同士ではよくお喋りをしていたのをたびたび目撃していた。なのにクラスメートたちとはあまり口をきかなかったのだ。
 切れ長の目、太い眉も共通点だった。というよりも、双子はどちらがどちらなのか見分けがつかないほど瓜二つで、それは顔立ちだけではなく、耳までのふわっとした髪形や普段の表情も似ていたし、使っているカバンやシャープペンシルの種類まで同じだった。ひとつ分かりやすく違っていたのはつけているベルトの色で、A組の昭人が黒、C組の隆人が紺だった。めざとくこの点に気が付いたのが実は僕で、仲の良かった数人のクラスメートに、双子の彼らの見分け方はあそこだぞ、と教えて回ったのだった。隆人と僕は席が隣同士だった。
 その他に、周囲には秘密にしている僕だけの双子の見分け方もあった。友達に教えたとしてもおそらくよくわかってもらえないくらいの双子同士での微細な違いの見分け方だったから、僕はそのことを他の誰にも言わず自分だけの双子を見分ける方法として、ベルトの色で判別できるにもかかわらず、たまにそのフィルターを通して双子を判別し、ひとり満足していた。
 その微細な違いとは、双子の喋り方だった。ほんのわずかではあるのだけれど、A組の昭人のほうが言葉の音と音とのつながりが少しだけ粘っこく、僕のクラスメートになった隆人のほうがわずかばかり音と音とを区別するように発音する。その時々の調子や機嫌によって変動する違いなのかもしれない、と初めの頃は思いはした。だけれど、さっきも言ったように、双子同士で喋っている時、彼らの発音の仕方をフィルターにかけるようにしながら耳を澄ませてみると、僕には異なる個別性のものとしてそれはとらえられたし、感じられたその差異を双子の腰のベルトの色で答え合わせすると、いつも正しく判別できていたから、このことに気づいてから一週間で、判別法に特段間違いはないと確信するまでになった。誰に自慢できる能力ではなくとも、ひとつの特別な身体的技術を身に付けたような気持ちになるもので、なぜかとても誇らしく思ったのだった。
 転入後しばらく経っても双子は双子だけで話をしていた。廊下側の席の隆人はクラスではあまり口をきかず、声をかければ短い一言で返しはした。でも、会話に混ざるようなことはほとんどしてこなかった。たとえば僕なんかは、絶対に楽しくないだろうに、と思ったのだけれど、休み時間でも隆人はひとりで教科書を眺めていたりしたのだ。昼休みになると、隆人はA組の昭人と廊下で落ち合って、教室にいるときとは見違えるような快活さで話をして二人で笑い合ったりしていた。そのくだけた感じ。身体をくの字に曲げたりなどするその感情の発露は、教室にいるときの彼と比べてとてもじゃないけれど信じられないくらいだった。
 僕らもともとのクラスメートとはほとんど口をきかないというそのうちとけない態度は、双子が人見知りだからというよりも、双子に僕らが軽く見られており、双子の胸の裡で僕らは小馬鹿にまでされているのではないかという疑いを僕に与えた。いや、クラスメートたちも薄々そう感じていたのではないだろうか。とはいえ、誰もなにも言わなかったから推測でしかないのだけれど。でも、だからといって僕は双子に敵愾心を持つことはなかった。きっといくらかの時間とちょっとしたきっかけの問題なのだと考えていた。
 ある日の昼休み、双子が廊下で可笑しそうに話をしながら沸いていて、僕はちょっとした気まぐれで彼らに声をかけた。「よお。なんか楽しそうだね、なんの話をしてるんだい」。その日、隆人が喋っているのをはじめて見た。双子はお互いを見つめ合うと、それまでの威勢の良さを一瞬のうちに仕舞いこんで、おとなしく言った。まるで伸ばした首を甲羅の内に引っ込めた亀みたいに。
「昭人のクラスは俺のクラスより英語が一コマ進んでるから、どんな内容だったって聞いていたんだ。ほら、次の授業、英語じゃないか」
 A組とC組の英語の授業は教師が同じだったし、確かに双子の言う通りだった。でも、双子に声をかけるまで僕は彼らに聞き耳を立てていたので、双子がそんな話をしていなかったのはわかっていた。その内容はもっと俗っぽく、たぶん女子についてで、その話の断片からおおよそが察せられていた。まだまだ猫をかぶっている。瞬時に厚い壁を作られてしまい、僕は気まずさを覚えたし、なにより落胆した。
 ただ、それと同時に、というよりもそれ以前の初期的な段階で僕は大きな違和感を双子から受けていて、そちらのほうにこそより多くの注意を奪われていた。そのとき、隆人の喋り方が、昭人のそれだったのだ。いつもの隆人よりもわずかに言葉と言葉が粘つく感じの喋り方だった。僕だけの双子判別方法は僕の錯覚だったのかもしれない。でも、まだ確かめてみたかった。
 予鈴が校内に響き、双子は、じゃあ、といった風に馴れた感じで軽く手を挙げてそれぞれのクラスへと散っていこうとする。僕は双子の一人の後を追うようにしてC組まで歩く中で、彼の肩を叩いた。
「どうして昭人がこっちの組に帰るんだ?」
 双子の彼は立ち止まり振り返った。双子の彼のその表情は驚きに引き攣っていたが、すぐに顔の筋肉の表情だけは制して、両目以外から驚きの感情を消し去って見せた。かけたカマが決まり、心昂る僕は昭人に顔を寄せ、囁いた。
「当たりだな。まあ、内緒にしとくから」
 C組に戻ろうとする昭人のベルトの色はやはり、隆人の紺だった。
 教室に入って席に着く。廊下側の席の昭人はほんとうに驚いたようで、抑えた小声で目を瞠ったまま、
「どうしてわかったの」
とわずかに粘つく口調で食いつくように、隣に座る僕に訊いてくるのだった。
「いや、ちょっとね。みんなはわかってないから、大丈夫」
とこちらも小声で早口で返す。後ろの席の太っちょの田川が、双子が僕に話しかけている珍しさに気を取られた様子で昭人を見つめているので、まずいかな、と思った僕は昭人にちらりと目線で合図をし、会話を打ち切らせた。
 放課後。僕は陸上部の部活に出る前に、帰宅部同然の科学部に所属することに決めた双子を捕まえて、一階の下駄箱近くに位置する廊下の突きあたりにある少しだけ奥まった作りのスペースに連れて行き、話をした。
「実は、三回目なんだ。バレるなんて思いもしなかった」
 バツが悪そうに伏目勝ちにして、今日は黒のベルトをつけA組で過ごした隆人が指先で鼻の頭を掻く。そうだろう、昭人のあの驚き方だったのだから、隆人もそうであったに違いない。
「誰にも言わないでほしいんだ。秘密にしてくれないか」
 昭人はすでに諦めきった表情でいつもより眉が下がり、笑みを浮かべている。
「わかった。三人だけの秘密にしよう。でもどうして入れ替わったりなんかしたの」
 そこは聞かずにはいられない。階段から降りてくる上級生女子たちの甲高い大きな笑い声が急に廊下に響いてきてやかましかった。僕ら三人はもっと隅に寄って話を続けた。隆人が応える。
「ただのいたずらだよ。そうでもしてないと楽しくないからさ。別のクラスにしれっと座ってなにごともなく過ごすのって、けっこう面白いんだ」
 隆人から、な? というような目つきを受け取った昭人がさきほどからの笑みを浮かべたまま頷く。
「それはそうなんだ。間違いなくね。でも、隆人、この際言っちゃっていいんじゃないか」
 僕ら三人の間に一呼吸のじれったい間があって、隆人がふうと息をつき、その勢いで言った。
「そうだな。実は昭人がさ、うちのクラスの倉橋さんがいいっていうんだ。それで俺がA組に行って、昭人がC組に来てみたんだ。昭人、狙ってるんだよ。それがほんとの理由」
 倉橋早苗は確かにうちのクラスの女子だ。すらりとしてどちらかといえば長身。ショートカットで目が大きく、あっけらかんとした態度でクラスの男子ともよく口を利くタイプだった。
「そうなのか。でも、倉橋さんと話したことあるの? というかほら、それ以前に君たち金森兄弟は無口だって評判だし。君ら、倉橋さんどころか誰ともあんまりしゃべらないし、同学年の誰かに自分たちから話しかけたこともないんじゃないのか」
 そのようにちょっと踏み込んでみると、意外にも双子はにやけた顔で口元に泡立つ笑いを噛みしめるようにしながら身体をゆすっている。僕はこの場で優位に立とうとは思っていない。でも、もしも僕が優位に立とうと試みても、双子はこの調子で自分たちの優位を握って離さないだろう。それは二対一の数の優位性以上の、確固とした自分たちへの自信から来るものなのかもしれない。あるいは、自分たちへの視野狭窄的な強烈な思い込みがあるからなのか。
 昭人は言った。
「倉橋さんとの距離を詰めていくのはこれからだよ。あと、君はおもしろいから別としてだけど、他のクラスメートとはおいおいなんとなくやっていくよ。倉橋さん以外に興味ないから、なんだけど」
 興味がないだなんて、そんな態度でこれからの長い学校生活は苦痛じゃないのだろうか。倉橋さんがいることと、二人でクラスを入れ替わってみてはほくそ笑むこと、それだけしかこの学校には求めていないのだろうか。
「おいおい、もっとこの学校生活を楽しめばいいのに。小学生の時から君らはそんな感じだったわけ」
 僕の問いかけに隆人は首を振る。
「父さんがよく転勤する人なんだ。そのたびに、何度も転校してきたから。だから俺らは俺らだけがよければいいような感覚でやってきた。それがいちばん生きやすいと思ってる」
 双子は互いを見つめあった。そこにはおよそ誰にも入り込むことができないほどの一体感が僕には感じられた。さながら、がっちり閉じた牡蠣貝のように。
「水沢先生は君らの入れ替わりに気づくかもしれない」
 水沢先生はC組の担任だ。50歳を過ぎていて、顔色はいつも青白く、少しくたびれた感じのする教師だった。
「水沢先生ね、無理だよ、あの先生、歩くなすびみたいなものだもの」
 双子は嫌な声を立てて笑った。水沢先生の真っ黒な髪の毛はいつもどことなく脂っこく、茄子のへたのようにぺたりと頭に被るようなヘアスタイルだった。
「じゃ、クラスの中でわかっちゃうやつがでてくるかも。たとえば、田川とか」
 僕はそう言いながら、さっき昭人を見つめていた田川の名前を出してみた。それから昭人の目をまっすぐ見つめた。昭人は、
「あんな太ってたらだめだ」
と僕からなんなく視線を外し、またしても双子は強固に見つめ合い、かつ自分たち以外をすべて嘲るような笑い声をたてた。僕は強く怒ってやりたくなったのだけれど、それもちょっと子供じみているように感じて途惑ってしまい、むしろ意識して穏やかな口調に抑えて、あんまりそういうこと言ってるとよくないぞ、とたしなめた。双子はぎゃははは、と僕にまで笑いかける。
 そのひとときだけ僕は彼らと仲間になれたような、ずっと遠く隔てられていた壁の瓦解を感じた。双子と打ち解けた空気をようやく感じられたのはうれしかったのだけれど、それは渋味のずっと勝ったうれしさだった。
 それから双子は来る日も来る日もクラスを入れ替わった。もはや、その所属はあべこべのままが正常であるかのようになった。僕の隣に紺のベルトの昭人が座り、A組には僕の隣だったはずの隆人が黒のベルトをつけて席についているはずだった。
 隆人を名乗る昭人に、「隆人、あのさ」と声をかける。そういう毎日を過ごしていると、神経がとても疲労した。時にはいい加減いらいらしてきて、こんなのどっちだって構うものか、と特に重い荷を背負いこんでもいないはずなのに全部放り出してしまいたい気持ちになることもあった。
 隆人と入れ替わった昭人は、たまに機会を見つけて倉橋さんに声をかけるようになっていった。少しずつ近づいているみたいだった。倉橋さんの声も好きなんだ、と昭人は僕と二人だけのときに切れ長の目をさらに細めて言ったこともある。教室に響く倉橋さんの声は透き通るような音色をしていて、僕にしてみてもその声音は好ましく耳をくすぐるのだった。
 その昭人が、帰りのホームルームが終わってみんなで机を後ろに下げているタイミングで僕を手招きし、あとでちょっと聞いてくれないかな、と苦い顔を作って見せる。今日は教室の掃除当番だから、終わったら聞くよ、と応えると、掃除の終わる頃に教室に戻ってくるから待っててほしい、と言い残して廊下へ出ていった。そこへ同じく教室の掃除当番に当たっている田川が近寄ってくる。
「最近、金森と仲良くなったみたいだね。それも双子のどっちとも喋っているじゃない」
 田川に限らず、他のクラスメートたちの目にもたぶんそのように映っているだろうと察せられた。
「まあ、席が隣だし。A組の双子と二人一緒のときに話しかけてみたら、それからなんとなく話せる間柄になったわけ」田川は思案気に口をへの字に曲げて、僕を見つめながら何度も小さく頷いている。「今度、一緒に金森たちと話してみるかい? 彼らだって話せる相手がもっと欲しいだろうし」
「うん。でも無理にとは言わないけど。自然とそういう場面になった時にだな」
 田川はそう言うと、掃除道具箱のほうへ歩いて行った。何を言いだすだろうか、と不安に思ってしまった。知らないうちに双子との間に疚しさを抱えてしまっている。というか、双子の行いの疚しさに僕は巻き込まれてしまっていた。
 いや、足を踏み入れたのは自分からだった。双子の入れ替わりに気づいた時にそれを無視できなかったのは、素直に言えば功名心のようなものが働いたからだ。誰に対してか。双子に対する功名心。それは僕の、あんなことに気づいてしまったらどうにも避けようと思えない性格的必然と結びついての結果だったのだ。僕があそこでぐっと思いとどまって、正反対の行動にでていたらどうだったろう。つまり、もしも双子の入れ替わりをクラスメートたちに知らせるという行動にでていたら、ということだ。そうすれば、田川と話をしながら疚しさを覚えることはなかっただろうし、この先訪れるだろうクラスメートたちに疚しさを感じる時への懸念に対しても、もやもやすることもない。でもそれだと、双子とは疎遠のままだっただろうし、そればかりか埋まらない溝すら生じて、すれ違うことすら起こることのない、まったくもって両者の関係は圏外の関係といった形になっていたかもしれない。
 双子への疚しさと、数十人のクラスメートへの疚しさ。数の上でもこれまでの付き合いを考えても、クラスメートたちを選び取る方が無難な選択なのは間違いない。しかし、僕は後者を選び取った。そこにはきっと功名心のようなものだけじゃなく、双子の持つ未知の魅力に惹かれたところがあったのだ。僕のよく知るクラスメートの誰よりもずっと、僕の知らないいろいろな何かを双子は備えているように感じられたのだ。僕は、双子が吹かせる秘められた未知の魅力という香しい風にたなびく好奇心の旗となっていたのだった。
 掃除が済み、僕を含んだ同じ班のメンバーたちがそれぞれ、「それじゃあ」だとか「またね」と言い合い教室を後にしていく。それとは反対に、教室に戻ってくる生徒も数人いたのだけれど、彼らは忘れ物を取りに来ていたり、トイレや理科室なんかの掃除を終えてカバンを取りに来ただけだったりするので、長居などせずそそくさと教室を出ていくのだった。僕は窓台にもたれながら彼らの背中を見送る。誰もいなくなった教室で、教室外から小さく聞こえてくる帰りしなの生徒たちの短い喋り声や靴音、戸を閉める音などを聴き流しながらそのまま静かな夕凪のような気持ちで昭人を待つ。昭人のさっきの苦い表情にも不思議と気持ちが引っ張られることはなく、平穏のままにどんな報告であれ相談であれ受け止められる心持ちでいる。
 やがて昭人が隆人を連れてC組の教室に現れた。双子はなにやら小声で話し合いながら、真っすぐに僕のほうへ歩み寄ってくる。そんなとき、倉橋さんの澄んだ声が教室に響いた。
「昭人君たち」
 声をかけられ、双子が二人とも振り返る。それから顔を見合わせた後、昭人に扮している隆人が片手を上げて応えた。同じクラスの隆人の名前ではなく、昭人の名前を倉橋さんが口にしたことに僕は違和感を覚えた。倉橋さんは教室のドアから一歩入ったところで立ち止まり、僕らの立っている窓際まではやって来ない。ただ、ちょっとはにかんだような表情をしながらも、その抑えきれない笑顔がときおり漏れ出るのが可愛らしかった。隆人に扮する昭人が好意を持つ倉橋さん。そのために双子は入れ替わり始めたはずだった。でも、倉橋さんからは隆人が演じる偽物の昭人のほうの名前がでた。まさか倉橋さんも、僕のように双子の喋り方の些細な違いに気づいているのだろうか。
 隆人に扮する昭人が話をリードしようとする。
「ちょうど今、三人が合流したところなんだ。どう? 時間が無理じゃなかったら倉橋さんもちょっとしゃべったりしない」
「何か話題があるの」
「この学校の話だよ。俺たちが転校してくる前の話だとか。あと、みんなだいたい小学校から一緒なんでしょ、その頃の話なんかも聞きたいと思って。ね?」
 飄々と出まかせを言う昭人は、わざとらしさむき出しのフレンドリーなやり方で僕の肩をぽんぽんと叩いた。鬱陶しいと思いはしたけれど、ぐっとこらえて双子に合わせてやることにした。
「倉橋さんも、金森兄弟に教えてあげてよ」
 僕は双子の意を汲んで、倉橋さんを誘った。嫌ではないようなのだけれど、物怖じする倉橋さんはなかなかこちらまで近寄っては来なかった。そこへもう一人、様子を伺うようにしながら教室に入ってくる人影があった。双子と僕の視線を集めたその闖入者は田川だった。僕は反射的に、どうした? と声をかける。ちらりと見た双子は二人とも、いけ好かないなという表情を頬のあたりにうっすらと浮かべている。
「忘れ物だよ。でもなに、この集まり」
 田川は目玉をくるくる動かし、双子と僕、そして倉橋さんを眺め、これらのメンバーの集いにどんな意味があるのかを推し量ろうとめまぐるしく頭を働かせている様子だった。双子はたぶん、田川にはすぐに忘れ物をカバンに詰めてもらって教室から出て行って欲しいと願っていたと思う。でも、倉橋さんがいる手前、無理に促すような邪険な態度は見せたくないだろうとも窺われた。田川は太っていてモテないキャラではあるけれど、だからといって女子たちから嫌われているわけではない。倉橋さんなんか、田川の登場によって表情がやわらいでいて、そればかりか僕や双子よりも先に、田川の去就を左右する一言を投げかけたのだった。
「昭人君と隆人君がね、もっとこの学校のことを聞きたいんだって。それと、小学校の時の思い出話もだって」
 もともと双子は僕に話があったのだけれど、倉橋さんが現れたのでしばらく倉橋さんの相手をしてから予定通り僕と話をする算段をしていたのではないかと思う。それが、田川まで現れてしまい、自分たちの思惑が果たせなくなった気配を感じ、いらいらしている風だった。僕は、田川までもがこの場に現れたことに、嫌悪を感じるどころかこれはこれでいいじゃないか、というある種の開き直りのような陽気な気持ちに変わっていた。
 田川は、「面白そうだな」と言って上唇をぺろりと舐める。
「そうね。面白そうかもね」と倉橋さんは緊張の解けた笑顔で相槌を打つ。
「じゃあ、小四のとき、グラウンドの近くに熊が出た話は外せないな」
 田川はもはや自分の部屋にいるときのように弛緩した笑顔で話をし始めている。双子の胸中を思うと笑ってしまいそうだった。
 それは、小学校四年の春、GWのすぐ後のことだった。連休モードから抜けきらないぼんやりした感覚で一時間目の算数の授業を終えた休み時間。「みんな、見て!」と窓際で叫ぶ田川がクラスのみんなの視線を集めた。すぐさま田川の元にざわざわと人垣ができて、みんなで外を見た。グラウンドの端の草むらに一頭の大きな黒い生物がうろうろと行ったり来たりしている。見るなり「熊!」とヒステリックに反応して震え出した女子がいた。「先生に知らせてくる!」と機敏に教室を駆け出す数名の男子もいた。
 双子はこの話に、言葉少なに興味を示してくる。
「見間違えじゃなかったのかい」
 昭人に扮する隆人が張りのない声で田川に尋ねた。ためつすがめつといった態だ。
「あとで警察が来たんだけど、足跡を確認してたし。てか、ニュースにもなったんだ。鉄砲を担いだ猟友会の人たちも来て、その日は小学校の周囲を含めた全体が立ち入り禁止区域になった」
 自慢話のように田川は語った。僕のなかの記憶も甦ってきた。そしてまた、昭人に扮する隆人が質問する。
「授業とかどうなった」
 間髪入れず倉橋さんが答える。あの時の場景が倉橋さんにも生々しく甦ってきているのかもしれない。
「臨時休校になったの。集団下校すら危ないんじゃないかってことになって、車で来られる保護者が呼ばれてね、先生たちと一緒に代わるがわる生徒を車で送ったのよ。みんなで学校脱出作戦」
 倉橋さんの言葉に、僕と田川も頷く。
「下級生から送っていって、上級生みんなが帰ることができたのってもう昼過ぎだったって言ってたよね」
 僕もこの時のことになにか言及したくて、そう口を挟んだ。今度は隆人に扮する昭人が恐るおそるという風に訊いてくる。
「あのさ。ここって、人が住んでるところにも熊が出てきたりするの」
 それにはきっぱりと僕が答えた。
「出る。珍しくない」
 倉橋さんも田川も、微笑みながら、そうそう出るんだよね、と相槌を打っている。双子二人の顔が引き攣った。見ていておかしなほど同じ瞬間に、シンクロして。
 そこで田川が補足する。
「でも、いつもじゃない。たまにだよ」
 そうだね、と言って双子以外の三人で笑っていたのだけど、双子は顔を見合わせるでもなく、表情を失くし青くなっている。倉橋さんが澄んだ声でふわりと踏み込む。
「昭人君たち、そんなに思いつめなくていいって。熊の目撃は多くても、人が襲われたことってこの町ではほとんど無いから。熊は熊で、人の気配がしないときに出てくるみたいだよ。目撃情報だってだいたいが車で通りかかった人からのものだって言うし。それでも怖い?」
「いや、そんな、怖いわけじゃないけど」
 隆人に扮する昭人が、本物の隆人のほうをちらりと見やって言ったのだけれど、まだまだ血の気が失われたままの表情なのだった。昭人がいくら取り繕おうと試みても、顔の筋肉はちぐはぐな動きにしかなっておらず、どうにも不細工な顔になって、見るに堪えなかった。
 双子が失ったのは血の気や表情だけではなく、いつもの対外的な態度もだった。「でも、嫌だよな」と昭人に扮する隆人が本物の昭人に向かって、青白い顔で呟く。
 あのとき廊下で、僕が双子の入れ替わりを見破って見せる前、双子が楽しくお喋りをしていたその彼らだけの自由を、僕は目撃していた。彼ら二人の間でしか現れることのないその屈託のなさと、陽気さと、そしてどこかに邪悪さの宿っている哄笑がそこにはあった。今、普段は上手く包み隠しているそんな双子の素顔の片鱗が、彼らが人前で片時も脱ぎ捨てることのない分厚い仮面に生じた、ごくわずかな亀裂の間から顔をのぞかせている。
 僕はそれを見逃さなかった。どう評価し判断するべきものなのかはよくわからなかったのだけれど、双子の性格とその関係の基礎的で裸の部分を、僕は心のシャッターでとらえたのだった。判断は後でよかった。その場面を覚えておきたかったのだ。双子の未知を解読するひとつの手がかりとしてなのかもしれない。好奇心がそうさせたのだと思う。
「あーっ! 嫌だ。大問題だな」
 荒れた調子で本物の昭人が吐き捨てる。倉橋さんは驚いて一歩後ろに退いたし、田川は目を丸くして昭人を凝視していた。本物の隆人はわずかに体面を保てていて、昭人をなだめながら、
「まあ、待てって。人の気配を察したら出てこないみたいだし、襲われた人もほとんどいないっていうし、安全なほうなんじゃないか?」
となんとか言ってのけていた。初めて、双子の性格の異なる部分を見た気がした。すると、これまでの双子のぴったり重なりあったような同一感が、とても奇妙で不健全なもののように感じられてきたのだった。
 お喋りはそんなところで終わっていった。気分の悪そうな双子と、彼らを心配して「ごめんね」と声をかける倉橋さん。忘れ物の漫画雑誌を机の中から取り出してカバンにしまうと、「それじゃ、帰るわ」と滑るように教室を出ていった田川。
 僕は双子に、
「気を付けるに越したことはないけど、それでもまあ実際大丈夫なものだぜ。そのうち慣れてくるし、そんなに考えすぎるな」
とフォローを入れた。乱れている双子の気持ちが元通りに落ち着くまでそこに居たかったのだけれど、部活の開始時間にだいぶ遅れてしまっているので、寄り添ってくれている倉橋さんにその場を任せることにして僕はいそいそと教室を出た。

 翌朝、教室に入ると田川が僕の登校を待っていた。食いついてくるようにして田川は言った。
「昨日言い忘れたんだけど、金森兄弟の見分け方ってあるんだよな、あいつらのベルトの色の違いがそうなんだよ。わかってたか」
 田川は誰かから又聞きしたようだ。田川ですら知っているようだと、同学年のほとんどにこの判別法は行き渡っているかもしれない。
「ああ。知ってたよ」
「実は倉橋さんから聞いていたんだ。倉橋さんは昨日、最後まで金森兄弟に付き合ったんだってな。けっこう親しくなれてよかったってさ」
「あの後、長く居たの」
「うん。いろいろ話したそうだ。素の金森兄弟を知ることができた、って言ってたよ」
 熊の行動範囲が人間の居住区域にまで及ぶことに驚いていた双子の、その分厚い仮面があのとき砕けて、そのまましばらく修復は無理だったのだろう。いっそのこと、この先、もうずっと素顔の双子でいればいい。
 田川はそこで僕に近寄り、声をひそめてこう言った。
「あのな。倉橋さん、A組の昭人が好きだって。付き合うらしい」
「そんな話にまでなってたのか。しかし、あんなに似ている双子の、同じクラスじゃないほうと付き合うのか」
「俺もそう思って倉橋さんに訊いたんだ。双子の違いってわかるのって。ベルトの色じゃなくて、性格的な違いや外見の違いがって」
「なんて言ってた?」
「なんとなく違うんだって。フィーリングの違いって言うのかな、って言ってた。漠然とした何かがあるんだろうな」
 唸ってしまった。倉橋さん、君が好きな昭人は、もともと同じクラスだった隆人なんだよ。フィーリングの違いなんてものは、おおよそ勘違いだ。
 そこへ双子が教室に入ってきた。おはよう、と挨拶を交わす。昨日は悪かったな、と僕が言うと、「いやいいよ、大丈夫だ」と返してきた。僕はすぐに気付く。その発音の淡白さに。紺のベルトをつけたその双子の一人は、入れ替わる前のもともとの隆人だった。意中の倉橋さんと付き合うことになって、入れ替わりを止めたんだな、と察せられた。倉橋さんと付き合うため、昭人は元のクラスに戻ったのだ。
「田川、ちょっと悪い」
そう言いながら、隆人の腕を引っ張って廊下に出る。
「元に戻ったのか」
 単刀直入に言った。
「どうしてすぐバレちゃうんだろうな。なかなかやるもんだな。でな、昨日話したかったのはその話だったんだ」
 薄く笑ったその表情には再び分厚い仮面が張り付いているのが僕には見えた。さすがに一晩経ったことで隆人は自分を取り戻したのだ。双子にとって、自分を取り戻すということは、仮面を修復したことにあたる。僕は、また君らとの距離は元通りか、と気怠さを覚えながら言った。
「昭人の目的が達成されたからか。彼女のほうからも好かれるなんて運がよかったな」
「まあ、昭人はな」
 隆人はそう低い声のトーンで返してきた後、もっと小さな声で、良いんだか悪いんだか、と唾を吐き捨てるみたいに言うのだった。そのときの隆人の表情には怖気立つものがあった。
 不気味で、影とでも表現するほかにはないようなものが色濃く射しこんでいたのだ。僕は目を逸らせばその影に襲いかかられるような感覚に捕らわれてしまい、本意ではなかったのだけれど、相当の無理をしながら隆人の表情を見つめ続け、対峙した。そうしなければ、よく掴みきれない何者かに倒されてしまうと本気で思った。
 目を逸らすこと。それは一勝負の内の簡単な一つの負けという意味を持つのではなくて、今後の人生を大きく揺るがすくらいの深い敗北を意味し、僕はその瀬戸際にあるように感じていたのだ。そんな重大な敗北の烙印を押されてしまう危機にあるような気がして、隆人から目を離すことができなくなった。まるでしがみつきでもするような気持ちだ。
 とても強烈な危機感の中にあったのだ。うまく説明し難いのだけれど、生き方が開かれていないことでうまく排出できなかったエネルギーが、意図しないなにがしかの反応を経て変容したものによる圧迫なのかもしれなかった。僕は自分がゆらゆらと頼り気のない存在に変わるのを感じた。
 しばらく無言のままその場に立ち尽くしていると、昭人が歩いてきた。僕はこれならば敗北せずに隆人から自然に視線を外せるチャンスだと自身を奮い立たせ、堂々とした態度に見えるように虚勢を張りつつ、わずかにわなないてしまう目の焦点を昭人へと移行させる。そして、やっとのことで言った。
「昭人、好かったな。でも、彼女が好きなのは逆の双子の方だよな」
 両足が廊下を踏みしめる。声はかすれてしまった。昭人は、ふん、と鼻を鳴らす。
「遠くから眺めているっていうその距離感の違いで、恋心なんてものは変わるものだ」
 それを受けて、隆人が言う。そんなものさ、と。
 昭人が続ける。別にいいじゃないか、と。
 僕は揺れる心の内で、双子の言葉を復唱した。そんなものさ、別にいいじゃないか。
 短いやり取りの間に、隆人の顔に射し込んだ恐ろしい影は、昭人のほうにも現れていた。
 ほんとうは、双子は倉橋さんに気づいて欲しかったのではないだろうか。入れ替わっていたことに。ほんとうの双子の、それぞれの存在に。

 そのときからずっと、中学を卒業して離ればなれになるまで、双子の表情からその影が消えることはなかった。彼らとはその後、一度も再会していないし、噂も聞かない。僕が同窓生のその後の動向についての興味が薄く、まるで詮索しないタイプだからという理由もある。
 倉橋さんは幸せだろうか、とふと思った。続けて、あの双子は、と彼らを思い浮かべると、残念だけれどおそらく幸せではないのではないかと思えた。


 テレビ画面のめまぐるしい明暗の入れ替わりに引き摺られるように、照明を落としたままの部屋は明るくなったり真っ暗になったりを繰り返していた。ぼんやり眺めていたニュース番組への集中力が戻ってくる。双子のボクサーの特集がちょうど終わった頃だった。
 双子のボクサーは一卵性であっても、髪形は違うし、体の筋肉のつき方もなんとなく異なって見えた。お互いがお互いとは違うということを当たり前の事として踏まえている、というか、磁石の同じ極同士の反発のように自然と心理的に離れていった結果としての、その姿なのかもしれなかった。
 彼らは生まれたときから、良くも悪くも自分ととても近しい他者をごく身近に持っていた。協力しあうことも少なからずあっただろうけれど、でも自分が自分になるためには、お互いがお互いを遠ざけたい気持ちのほうも強くあったのではないだろうか。
 一卵性双生児のボクサーたち、彼らのその見た目からでも窺える違いは、健康的な格闘の果てとしてのものなのだと思う。結果として同じボクサーにはなったけれど、それは二人が全く同じ道を進もうと決めたのではなくて、生来、見てきたものや触れてきたものが同じものばかりだったせいかもしれない。
 でも、譲れない何かが、彼らの見た目からしても、はっきりわかるくらいにそれぞれを変化させたのではないだろうか。彼らは二人だけで閉じてはいない。
 僕の知るあの中学時代の双子は、あの後、ボクサーたちのように健康的な過程を踏んだだろうか。僕にはそうは思えなかった。あの時、あの表情に射した険しい影は、もはや刻まれてしまった段階としてのものだった。双子のとった行動を是とするあのどす黒い影から逃れるだけの覚悟と忍耐と勇気を、あの双子が持ち合わせていたようにはどうしても思えない。どこかで覚悟や忍耐や勇気といった資質を育まなければ、あるいは誰かからもたらされなければ、あの影から逃れるための格闘の第1ラウンドにすら望むことはできやしない。
 どう楽観的に解釈しようとしても、彼ら双子が、今この時に幸せの内に生きていると想像することは、今の僕には無理だった。なんというか、厚く垂れこめた暗雲の重苦しさがあの双子に重なってしまうのだ。思い浮かべる双子はいつも暗い曇天の下にいて、僕に背を向けて立っていた。僕は彼らの名前を呼んで振り返らせてみようかどうか迷いはすれども、たぶん声をかけることはしない。振り返らせて目の当たりにする双子のあの表情に射した恐ろしい影が、きっとさらに彼らの顔の内部深くにまで刻み込まれ、見る者に戦慄という感情を呼び覚ましてくる深い傷跡のようになっているに違いないという確信が座り込んでいるから。どうしたって僕には見るに耐え難い姿をしているだろうからだ。
 いや、待てよ、きっと思い過ごしなんだ、そうに違いない。僕はそのとき、ふと生れ出た「思い過ごし」という観念を無理やりにでも活かすべく、それを飲み込もうとする。難儀してでも飲み込んでやろうとする。幸運というきっかけを双子が掴み取っていないとは限らないからだ。その可能性は、それほど小さなものではないだろう。
 思い過ごしだ、思い過ごしだ、思い過ごしだ、思い過ごしだ。なんども飲み込む努力をする。
 思い過ごしだ、思い過ごしだ、思い過ごしだ、思い過ごしだ、思い過ごしだ。この言葉が馴染むまで、何度でも、何度でも。
 ほとんど確実に、そのほうがみんな、そう、ほんとうにみんなが救われるのだから。
 双子は分厚い仮面を被っていた? 思い過ごしだ。
 双子は双子だけの間だけで閉じていて、外には開かれていなかった? 思い過ごしだ。
 双子は、僕に案じられるような不幸な人たちだった? 思い過ごしだ。
 僕は、わかりやすいくらいにはっきりと双子を、つまり隆人と昭人とを区別して接してやるべきだったのだろうか? 思い過ごしだ。
 僕は一体、双子にどうなって欲しかったのだ?
 僕は、双子をどうしたかったのだ?
 僕は、双子の何をわかっていたというのだ?

 テレビを消し、扇風機も停めた。人工の音たちが消え去り、真っ暗になった部屋に侵入し続ける外からの虫の声だけがある。それは心の糸を爪弾くようにやけに切なさを掻き立ててくる。
 僕の口から自然と零れ出たため息が、不快なほど生ぬるい。居たたまれないくらいの、不快な生ぬるさだった。そんなやるせなさを倍加させるように、見上げる月だって、今夜は無いのだった。

(了)
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