Fish On The Boat

書評中心のブログです。記事、それはまるで、釣り上げた魚たち ------Fish On The Boat。

仕事を辞めることにした理由。

2022-10-03 10:47:31 | days
6月からお店のパートスタッフとして働き始めましたが、10月半ばをもって退職することにしました(現在は有給休暇消化中)。その顛末というか、理由について、ここに残しておきます。

<序論として>
まず、働き始めた理由ですが、母親の介護にデイサービスやショートステイを使えないのは経済的な理由だと親父が言い始めたからです。訪問リハビリの回数も、毎週月曜日に来て頂ているのを経済的理由として月に一回分を減らしました。親父に一存です。デイサービスやショートステイを使えないのは、親父が他者に母親を預けることにつよい不安を感じるからなのですが、金銭面に転嫁しました。お金の問題だと言えば、役所からもケアマネからも口出しできないだろうというねらいだと思います。そして、働かずに家にいる僕へ矛先を向け、お金がないのがいちばんの問題だとして、僕を責めたのでした。さらに、車の維持費は出さないと言いだされて、そのために仕事を探したのが大きな理由でした。車自体、親のお金で買ったものなので文句はなかなか言いづらい。処分すると言われても抵抗しづらいわけで、そこを親父に突かれたのでした。しかしながら、いつものように親父は物事を小さく切り取ってからそこにフォーカスして理屈をこねています。木を見て森を見ず、がデフォルトなのです。なぜ僕が働かずに家にいるのか、その理由を無視している。あるいは、僕を怠惰だと決めつけてそのせいにしている。親父は、何もしないでいること、つまり怠けてだらだらしている状態が、いちばん楽で幸せな状態だと考えているところがあり、その価値観で人を見るため、またそれとは別に「隣の芝生は青い」的に他者のことが見えるところに、自分がいちばんいい思いをする状態(怠ける状態)を重ねてみるのだと思います。人は自分の見たいように人を見るものですから(リップマンの『世論』にそのような論述がありましたし)。

僕が家にいる第一の理由は、親父の家族への精神的暴力(暴言・怒鳴る・わめいて責める・常にあら探しをして人を否定する・支配的など)がほんとうに酷く、母親への肉体的暴力にまで及ぶことがあるからです。第二の理由は、親父の暴力によって僕自身が疲弊しているからですし、こういう家の状態で稼ぎに出るには負担が大きいし、家でも休息が取れないからです。第三の理由は、もう10年以上前になりますが、親父が働いていたころに家事をして母の様子を見守るために無職でいて、こういう状態から将来を考えたときに執筆業でなんとかしたほうがベターだと考えてその道へシフトしたからです。まあ、後述する第四の理由として、執筆業の道へシフトしたことによる影響が大きいのだと思いますが、いわゆる仕事、広義でいう事務的な仕事(書類処理に限らず、決まったシステム通りの範囲内でその仕事を覚えてこなすような仕事)が向かなくなったことがあります。事務⇔創作と言われるように、どうやら正反対の道だったようです。

2015年に親父が退職するやいなや態度が急変し、僕を厄介払いするようにいきなり月の小遣いを断たれ、勝手にやれ家から出て行けというような態度を取られるようになります。母親の調子が悪くなるいっぽうで(父親の暴力が原因だろうと考えています)、そんな母親の介護を父親一人でできるかどうかが甚だしく疑問だったので、家にずっといるようになった父親が母親の介護になれてうまくこなせるようになったのを見届けながら(僕がサポートしつつです)、ソフトランディングするように僕はパート労働をしながら執筆をし、親父には母親の介護をしてもらおうと考えていました。でも前述のように親父は態度を硬くして、母親の介護も家事もすべて一人でできる、と言い切るのです。僕も腹が立ちますから、それじゃやってみろ、と。でも、冬場はストーブの周りで母親が自分を失ってうろうろすると危ないので(火傷したことがありますし、ストーブを倒しそうになったこともあります)、たまたまあった夏場だけの仕事をすることに。それがコロナ前までの話です。コロナの時代になって家にいるようになると、僕の体調が悪くなり、昨年などは2月末から10月末くらいまでめまいや頭痛やふらつきや急な低血圧による具合の悪さに悩まされました。そして、今年は少し持ち直していたのですがそれでも体調不良といえる状態のなかで、お店の仕事に就いたのでした。

以下、ここから、仕事を辞めることにした理由を3つの方向から書いていきます。



<家庭環境に問題があること>
・朝からガーガーと声の限りに親父が母親に怒鳴り、母親は母親で調子が悪く意思疎通もできない。そういう状態から出勤すると、あたまがぐちゃぐちゃでさらに真っ白になります。仕事を覚えたりこなしたりが難しかったです。それと、僕が働くようになってから母親を起こす時間が10分早くなりました。僕への嫌がらせなのか、というように、そのぶん、親父が怒鳴って僕が疲弊する時間帯が増えました。僕は8時20分出勤で、6時15分に目覚ましがなります。朝一でシャワーを浴びて、野菜サラダと目玉焼きと果物のカットと前日味噌汁の残りを温めなおして三人分の食事の準備をします。そして僕だけが食事をはじめ、食後に自分の食器を洗い、それから生ごみや資源物などのごみを集めて家のすべてのごみ箱を空にし、収集日ならばごみ出しをする。次に歯を磨き、仕事着に着替えてネットをチェックして家を出ていました。けっこう時間がかかるものなんです。その流れの中で、怒鳴りや暴言が吹き荒れていました。そこに介入しなければならないこともたびたびでした。

・夜、眠れなくなりました。以前から母親の調子によって夜中でもおかまなしに起こされているので、目が覚める癖がついてはいました。3時に目覚めて朝まで眠れないだとかがしょっちゅうです。また母親の調子によるものだけではなく、親父は、夜中だろうが人が寝ていようがおかまいなしにでかい声でしゃべったり怒鳴ったりします。気を使って声をひそめるなんてしません。さらに、自分がトイレに起きた時など、僕の部屋の前の扉の横に置いてあるゴミ箱の横でギャーギャーでかい音を出して痰を吐くので、そのつど僕は目が覚めました(これについては、このあいだ訴えてみた結果減りましたが)。くわえて、家のことや自分のことを考えるだけでも大変なところに、仕事を覚えたり考えたりしなければならなくなり、それが過覚醒のような状態に向かわせたのだと考えています。

・帰宅したり休日だったりしても親父が怒鳴っていますし、母親が寝ていても居間で親父がひとりでしゃべっているので、うるさくて神経がひりひりします。「こわいこわい(疲れた疲れた)」とか、今からやることをいちいち言葉にするだとか(「トイレに行くか」「歯を磨くか」「薬は飲んでたかな」など)、かけ声だとか、痰を吐いたりだとか、いろいろとうるさくてこっちは休息にならないし、読書も執筆など何かをやるにしても集中できないのでした。



<職場に問題があること>
・少人数の職場で求人をずっと出していますが、古株の人によるパワハラ職場の傾向がありました。他者を責める感じの人がほかにもいます。自分が正しいという立場から、攻撃的に接してきたり責めてきたり。100%僕が悪いという話しぶりでした。お互いの言葉や考えの食い違いがあっても、それも僕が悪いという話しぶりで、自分が悪いとは言いません。おそらく「責任の所在を明らかにする」の規律が支配しているんです。その影響で、過失割合が100か0かの白黒どちらかにされてしまうっていうのはあります。責任の所在を明らかにしなくてはいけないという体質が、なすりつけや転嫁を生むんだとも思います。過失割合が60:40みたいに宙ぶらりんの状態や、過失割合がよくわからないあるいは悪いのかどうかもわからない場合でさえも、白黒つけて責任の所在をはっきりさせないと落ち着かない、というように。

・人を誉めない職場でした。

・たとえば、品出しをしていて棚の上からものを補充していても、誰からがやってきてその瞬間しかみないで「上から補充してください」と言ってくる。「いや、今出したところで」返しても、まだこれも出るとか言い張られて、相手は自分を曲げません。応援のアナウンスがかかったとき、僕より近い人が動いたのを見たので僕が動かなかったら、それを知らないだろう人が、「応援に行かなきゃ!」と僕を責める。疲れているせいもあるだろうけれど、言い訳や口答えになると思い、飲みこむ場合がほとんどでした。これはよくない態度ですが、なにせ、こっちは新人で教えてもらう立場で、不均衡な間での立場です。こういったところから心理的安全性は脅かされ、パワハラ傾向が普通になっていきます。

・僕になにかを教えようとして話をされても、向こうはひとつのことを伝えるつもりで不足なく伝えていると思っているようでも、僕にしてみたら、言われていることが様々な意味にとれるので、わかったとは言い切れません。すぐさま、ここはどういう意味か、と聞きたくても、話の途中で口を挟むな、と言われて、長々と聞いているうちに何が疑問だったか忘れてしまう。忘れてしまうのは、体調が悪いことも関係しているかもしれません。

・なんでもなすりつけられている感じで、僕も面倒くさいのではいはい受けてしまう。

・○○の仕方、ちゃんと覚えていてください!、とある人が言い、肝心のそのある人はそれを覚えていないだとか。押し付けられてる感があります。

・ある先輩が休憩中にレジに並び、前の客が商品券を使ったので数えたりクリップで留めたりして時間がかかると、小さい声で「早くして…!」と文句を言いました。なんだ、と思いました。もともと、その人は何かを教えてくれて僕がつまづくと、何もしゃべらなくなりコミュニケーションががとれなくなってその人から離れないといけないような状況になる人でした。

・責める、当たる、なすりつけるがひどかった。これは家庭でも親父がそうですし、母親にもそういうところがあります。

・気になるので再度考えますが、責任の所在をはっきりさせる、という体質がゆがんで、あいまいな案件でもすべてひとりを責めて被せるだとかに繋がっているのではないか。

・店内放送で応援を頼もうと受話器をとるも、電話口からはピンポンパンポーンの音声が聞こえるものの、店内に響いていなかった。2回試してもだめで、大声でレジ応援お願いします、頼んで同僚に来てもらった。これをあとで、古株の人たちが集まっているときに告げると、ある人は「声が小さいからじゃないですかー?ちゃんと鳴ってましたよー?」と、こちらの勘違いのせいにするし、事実と違うことをあたかも事実のように言ってなすりつけてきました。言い方も慇懃無礼に似た感覚で、感じがよくないのです。



<僕個人に問題があること>
・もともと疲労している状態だった。一年に原稿を1000枚かけてこそふつうのところ、100枚弱しか書けないような環境と健康状態だった。だから、一年に1000枚原稿を書けるくらいならば、外でも働けるということになると思う。

・支配的な親の元で育ち、その環境のまま生活してきたことで、たとえば過度に気を遣うようになってしまっていて、それが疲労を強くしていた。リソースの8割くらいを他者に気を使うことに向けていて、仕事には2割くらいしか力をさけない。外で働くと人に気を使うことでまず疲れる。エネルギーやリソースの大半を消費してしまうのでパフォーマンスが落ちる。

・ずっと親からそうされているので、責められたり当たられたりなすりつけられたりしやすい。

・じっくり考えるタイプなので、すぐに答えを出すことにためらうし、すぐに出す答えにブレや不適当さが多くなってしまう。おそらく試行錯誤やアイデアをひねりだすための頭の使い方になっていて、あえて誤りや逸脱を選ぶところがあるんだと思うのです。そういったところを社会性を考えて客観的に見てからアウトプットしなければならなくて、そこでスピードの遅さや求められる答えの出なさにつながっている。「そんな面白みもなくて、もっとほじくりかえしたほうがいいような答えに、スピーディーに落ち着くようなことをみんなやってるなんて信じられないし、僕にはできない」といった感じだ。だからそういう職場での同僚とは、話が合わないどころか頭が合わない。効率性、事務性とは正反対のあたまの性質になっているようなのです。



<最後に、まとめ的に>
商売ってもの、お店ってものも「事務」の範疇にある仕事なんだな、と学びました。というか、世にある多くの仕事っていうものは、事務色が濃いものなのかもしれないです。僕はいつの間にか、そうとうに事務とは相いれない人間性になっていました。事務の対義語は創造(創作)という言葉を読んだことがあります。まあわかりやすく大げさに単純化してみせたコントラストなのでしょう。とはいえ、事務分野に頭が働かないことから、僕は事務分野にほんとうに背を向けて創作の方向へ歩いていたことを身をもって知ったのでした。決意というより覚悟して臨んできましたが、覚悟には諦めが含まれているわけで、なにを諦めたかというとその大きな一つが「事務分野への適応力」だったのだろうと、今回気が付きました。昔は事務的な仕事もごまかせるような器用さを持っていたものですけど、いつしか小説に両足をつっこむようになったことでその器用さを失ってしまった。引き替えだったのです。そういった自分自身的な要素もこのたびの退職には理由として大きくあります。くわえて職場だってよくなかったし、家庭にだって大きな問題があります。と、ここ半月くらいときどき内省していました。

合わないこと、似合わないこと、無理なことを続けるとやっぱり体調は悪くなる。後頭部から側頭部を中心とした圧迫感のある頭痛に、首から上、頭部にかけての筋疲労めいた違和感。目の下のクマとその重さ。不眠。そんななかでの少しずつの内省です。効率とかスピードとか、そういった軸で職場ではみんな動きますが、僕はじっくり疑って考えたくなる。すぐに答えを出すことに躊躇するし、誤りや逸脱を徹底的に間違いとするなんて僕には無理だった。僕にとっての創作ってそういうものです。

ありがたいことに、オフラインの関係で意見をくれる方がいます。僕は実家を出たほうが、ほんとうはいちばんいいという意見を複数いただきました。僕一人で考えても、偏ったり視野に入っていない大切なことがあったりすると思うんです。なので、こういう意見をいただけると、とても助かります。多謝!

「健康状態が100%ベストのときじゃないと決断してはいけない」 (松下幸之助) 
そうじゃないと決断を誤るのだそうです。決断のコツだと。録画して最近見たスイッチインタビューで物理学者の佐治晴夫さんが紹介していました。いまの僕にはびびっと刺さった言葉です。
ということで、もう少し体調が回復するまでいろいろ物事の方向を決めるのはやめておくことにします。そして、少しずつ、読書を再開するつもりです。長くなりました。個人的な話をここまで読んでくださってありがとうございます。なにか、類推的に他者の役に立つことがあればなあと思います。
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