僕らは他者との関わりで生きている。そのなかでいろいろとストレスはあってどこかで休憩したくなるもの。でも一日の中で、「一分でも節約して休憩に充てるぞ」と躍起になっても、たぶんそうやって溜めた時間ではよい休憩にはならない。時間の節約にエネルギーを使い過ぎているっていうのがあるし、休憩に入るときの自分の状態が穏やかでなさすぎてうまく心身が休憩に入れないだろうからです。休憩のために一分節約したばかりに、二分なければ休息できない疲労をためてしまうことになってしまいがち。反対に、時間の節約にぴりぴりせずにいたほうが、幾分短めの休憩でも休める。量ということでもないんです。つまり、普段どういう質の時間の使い方や過ごし方をするかなのだと思う。
でも実際、急ぐときは急がなきゃだから、過度にならないように適度にバランスを取りながらになります。過ぎたるは及ばざるがごとし、ですから。そして、時間の量と質についての意識をつねにどこかでもっておくことが大切になります。
休息時間によい休憩が取れるかは、活動しているときの「時間の使い方の質」によるでしょう。ぴりぴりし通しだったり焦ってばかりだと、回復するために休憩時間がたくさんいるようにもなる。そのためにもっと時間の節約をし始め、そのためにさらにぴりぴりして、それを癒すためにさらに休憩時間が欲しくなって……と、節約がエスカレートしていく。悪循環にはまってしまいます。
こういうのはひとりだけで気をつけられるところもありますけれども、他者と相互で影響を与えたり受けたりしあうものでもあるので、みんなができるだけ落ちつけるといいですよねえ。好循環のためには、こういったことを各々が考えておくことが必要なのでした。
おそまつ。
でも実際、急ぐときは急がなきゃだから、過度にならないように適度にバランスを取りながらになります。過ぎたるは及ばざるがごとし、ですから。そして、時間の量と質についての意識をつねにどこかでもっておくことが大切になります。
休息時間によい休憩が取れるかは、活動しているときの「時間の使い方の質」によるでしょう。ぴりぴりし通しだったり焦ってばかりだと、回復するために休憩時間がたくさんいるようにもなる。そのためにもっと時間の節約をし始め、そのためにさらにぴりぴりして、それを癒すためにさらに休憩時間が欲しくなって……と、節約がエスカレートしていく。悪循環にはまってしまいます。
こういうのはひとりだけで気をつけられるところもありますけれども、他者と相互で影響を与えたり受けたりしあうものでもあるので、みんなができるだけ落ちつけるといいですよねえ。好循環のためには、こういったことを各々が考えておくことが必要なのでした。
おそまつ。