読書。
『はじめてのゲーム理論』 川越敏司
を読んだ。
ゲーム理論はもともと、ジョン・フォン・ノイマンらによるポーカーについての分析から生まれ、有名になった理論です。いまでは医療の世界であたらしい医者の配属の仕方に用いられていたり、建築業界などで工事の入札を自分の会社が赤字にならない金額でうまく権利をものにするために使われる論理だったりするそうです。
そうじゃなくても、有名な「囚人のジレンマ」(別々に取り調べを受けるAとBの両者のうち一人だけ自白しもうひとりが黙秘すると前者は無罪放免で後者は長期の刑期に服すことになり、ともに自白するならば刑期は免れないが情状酌量の余地がもたらされ、両者が黙秘だと両者とも軽微な罰だけで済む状況のなかで、AとBはどう行動するべきか? を考える問題)と呼ばれる状況と似たようなジレンマ・葛藤に僕たちも日常ででくわすときがあり、そのときに頭をひねろうとするその思考パターンを洗練させて学問化しているのがゲーム理論だといえるでしょう。
そのようなジレンマに対してナッシュ均衡とパレート効率性という二種類の最善手があります。その二つを中心に、そしてそれらの性質を見ていきながらゲーム理論の領域に足を踏み入れていく読書になりました。
余談ですが、僕は大学生の頃にバイト仲間たちと社会心理学の範囲で知った「囚人のジレンマ」の論議をしたことがありました。軽い雑談の中でですが、みんな懸命に最善の解や新しい解をひきだそうといろいろ言いあったものでした。その流れもあって、バイト仲間とラッセル・クロウ主演のアカデミー賞受賞作『ビューティフル・マインド』を観にいったりしたんですよねえ。この映画の主人公が、ナッシュ均衡を生んだノーベル経済学賞受賞者・ジョン・ナッシュ博士だったのです。
本書はさまざまなジレンマのケースを扱いながら、ゲーム理論を用いた社会デザインの学問である「メカニズム・デザイン論」にも足を踏み込んでいきます。ゲーム理論でわかる人の動きを考えながら規制やルールを決めて、上手に人を動かす仕組みを作ろうというのがこれです(それに付随するコラムでは、低賃金と高賃金では、高賃金のほうが労働者の労働に対する真剣味が増し生産性があがる効果があることについての説明があって、そのとおりだな、と膝を打ちました)。身近で使える簡単なルールでいえば、二人でケーキをわけるとき、一方がケーキをカットし、もう一方がどちらを自分のものとするかを先に決める、というのがありました。カット&チューズ法というそうです。これは上手なやりかたですよね。公平です。
でも、ゲーム理論には「不可能性定理」という問題があることも解説されていきます。たとえば「コンドルセ・パラドックス」という、多数決では決定不可能なことを証明したものがあるのですが、さらに、「コンドルセ・パラドックス」を発展させて考えた投票制度に関する「アローの不可能性定理」というのがあって、これによると、民主的で公平でというように、理想の投票制度の満たすための5つの条件をかかげてそれら全てを満たすパターンを導き出せばそれは「独裁制」に行き着くのだそうです。これは当初の目的と相反する答えなので、完璧な投票制度は作れない、という不可能性定理となるのでした。
不可能性定理には、「個人の自由の尊重」と「全員一致の原則」を同時に満たすルールは存在しない、というものもあると書かれていました(アマルティア・センの「リベラル・パラドックス」)。こういうのを知ると、自身が探している理想のようなものはセピア色の牧歌的なものだったのか、と残念に思う方もいると思います(僕も思いました)。
また、人々の思惑にもとづく戦略的操作とは無縁の社会を、僕たちは作ることは出来ないこともわかっているそうです。しかしながら著者は、そこで悲観せず、だからこそゲーム理論をいかして戦略的に「したたかな生き方」をしてほしい、という願いを綴ってもいたのでした。著者が本書を著し、この学問に邁進するのには、そういう考え方が土台にあるのでした。
じゃあ、ゲーム理論を学んで社会のデザインに生かそうとしても様々な不可能性定理によってまったく役に立たないかといえば、今後を考えると決してそうではない兆しがあるようなのです。それが「量子ゲーム(量子ゲーム理論)」の分野。量子力学の知見である「量子の重なり」や「量子もつれ」を活かして考えると、囚人のジレンマなどの数々の難問が解けてしまう。今後、量子コンピュータが試験段階から実働段階にうつると、量子ゲームの方法でたとえばネットカジノのブラックジャックを勝ちまくるようなボットプレイヤーが登場するかもしれないという話もありました。
というようなところです。数式がでてくるところはわずかで、文章での解説力(論理力)がしっかりしていてなおかつわかりやすいので、読解力があれば数式にもついていけるくらいの初歩のレベルだったと思います。僕はあまり数学だとかをやってこなかったのでこういう本にはたじたじになりやすいのですが、なんとかついていけました。それどころか、楽しく読めました。
『はじめてのゲーム理論』 川越敏司
を読んだ。
ゲーム理論はもともと、ジョン・フォン・ノイマンらによるポーカーについての分析から生まれ、有名になった理論です。いまでは医療の世界であたらしい医者の配属の仕方に用いられていたり、建築業界などで工事の入札を自分の会社が赤字にならない金額でうまく権利をものにするために使われる論理だったりするそうです。
そうじゃなくても、有名な「囚人のジレンマ」(別々に取り調べを受けるAとBの両者のうち一人だけ自白しもうひとりが黙秘すると前者は無罪放免で後者は長期の刑期に服すことになり、ともに自白するならば刑期は免れないが情状酌量の余地がもたらされ、両者が黙秘だと両者とも軽微な罰だけで済む状況のなかで、AとBはどう行動するべきか? を考える問題)と呼ばれる状況と似たようなジレンマ・葛藤に僕たちも日常ででくわすときがあり、そのときに頭をひねろうとするその思考パターンを洗練させて学問化しているのがゲーム理論だといえるでしょう。
そのようなジレンマに対してナッシュ均衡とパレート効率性という二種類の最善手があります。その二つを中心に、そしてそれらの性質を見ていきながらゲーム理論の領域に足を踏み入れていく読書になりました。
余談ですが、僕は大学生の頃にバイト仲間たちと社会心理学の範囲で知った「囚人のジレンマ」の論議をしたことがありました。軽い雑談の中でですが、みんな懸命に最善の解や新しい解をひきだそうといろいろ言いあったものでした。その流れもあって、バイト仲間とラッセル・クロウ主演のアカデミー賞受賞作『ビューティフル・マインド』を観にいったりしたんですよねえ。この映画の主人公が、ナッシュ均衡を生んだノーベル経済学賞受賞者・ジョン・ナッシュ博士だったのです。
本書はさまざまなジレンマのケースを扱いながら、ゲーム理論を用いた社会デザインの学問である「メカニズム・デザイン論」にも足を踏み込んでいきます。ゲーム理論でわかる人の動きを考えながら規制やルールを決めて、上手に人を動かす仕組みを作ろうというのがこれです(それに付随するコラムでは、低賃金と高賃金では、高賃金のほうが労働者の労働に対する真剣味が増し生産性があがる効果があることについての説明があって、そのとおりだな、と膝を打ちました)。身近で使える簡単なルールでいえば、二人でケーキをわけるとき、一方がケーキをカットし、もう一方がどちらを自分のものとするかを先に決める、というのがありました。カット&チューズ法というそうです。これは上手なやりかたですよね。公平です。
でも、ゲーム理論には「不可能性定理」という問題があることも解説されていきます。たとえば「コンドルセ・パラドックス」という、多数決では決定不可能なことを証明したものがあるのですが、さらに、「コンドルセ・パラドックス」を発展させて考えた投票制度に関する「アローの不可能性定理」というのがあって、これによると、民主的で公平でというように、理想の投票制度の満たすための5つの条件をかかげてそれら全てを満たすパターンを導き出せばそれは「独裁制」に行き着くのだそうです。これは当初の目的と相反する答えなので、完璧な投票制度は作れない、という不可能性定理となるのでした。
不可能性定理には、「個人の自由の尊重」と「全員一致の原則」を同時に満たすルールは存在しない、というものもあると書かれていました(アマルティア・センの「リベラル・パラドックス」)。こういうのを知ると、自身が探している理想のようなものはセピア色の牧歌的なものだったのか、と残念に思う方もいると思います(僕も思いました)。
また、人々の思惑にもとづく戦略的操作とは無縁の社会を、僕たちは作ることは出来ないこともわかっているそうです。しかしながら著者は、そこで悲観せず、だからこそゲーム理論をいかして戦略的に「したたかな生き方」をしてほしい、という願いを綴ってもいたのでした。著者が本書を著し、この学問に邁進するのには、そういう考え方が土台にあるのでした。
じゃあ、ゲーム理論を学んで社会のデザインに生かそうとしても様々な不可能性定理によってまったく役に立たないかといえば、今後を考えると決してそうではない兆しがあるようなのです。それが「量子ゲーム(量子ゲーム理論)」の分野。量子力学の知見である「量子の重なり」や「量子もつれ」を活かして考えると、囚人のジレンマなどの数々の難問が解けてしまう。今後、量子コンピュータが試験段階から実働段階にうつると、量子ゲームの方法でたとえばネットカジノのブラックジャックを勝ちまくるようなボットプレイヤーが登場するかもしれないという話もありました。
というようなところです。数式がでてくるところはわずかで、文章での解説力(論理力)がしっかりしていてなおかつわかりやすいので、読解力があれば数式にもついていけるくらいの初歩のレベルだったと思います。僕はあまり数学だとかをやってこなかったのでこういう本にはたじたじになりやすいのですが、なんとかついていけました。それどころか、楽しく読めました。