読書。
『ヒトはイヌのおかげで人間になった』 ジェフリー・M・マッソン 桃井緑美子・訳
を読んだ。
人と犬はお互いに影響を与えながら共進化したのではないか、
という仮説を、数々の経験や、論文や著作などからの引用で
楽しく語った本です。
著者にはベンジーという名前のゴールデンレトリバーがいて、
その屈託ない性格に惚れこんでいるので、
いくぶん上ずったような調子でもって、
その飼い犬・ベンジーの様子について語られるのが本書の始まり。
その後も、何度もベンジーを例にとっての犬の性質の考察がなされます。
そのベンジーとは、盲導犬としての訓練に不適合になった犬で、
説明や描写などから、気持ちに弱いところがありながらも、
ずいぶんと良心的な自由を謳歌しているように読めます。
でも、すごく愛らしくて愉快さをもたらしてくれる犬であるようです。
人の近縁であるチンパンジーは「競争する性質」を持っていて、
人ともっとも仲良しの異種である犬は「協力する性質」を持っている。
人は、助けあうことや愛することを犬との共生の中で獲得した、
つまり犬に教えられたとする仮説が本書の中心。
犬と人間の共進化、
お互いに影響を与えながら今の姿になっているという説はなかなかおもしろい。
犬は狼を基準として幼形成熟(ネオテニーと言われる)した種族ということで、
家畜化されてそういうふうになったのだけれど、
よくまあ短いスパンで野生のこわい狼が、
そんなやさしい犬になったもんだと思う。
ソ連時代のロシアの研究で、ギンギヅネの実験というのがあるそうで、
キツネを飼いならしていくと代替わりしていくにつれて、
頭蓋が小さくなり、歯も小さくなり、耳がたれたりなどし、
姿が変わって性格もおとなしくて人懐こくなったそうです。
40年という年月でそうなったらしいですが、
家畜化はそんな短い期間で起こるのだな、とちょっと驚きました。
イノシシが豚になり、野牛が乳牛やら肉牛になり、
鶏がいて、羊がいて、ヤギがいて・・・・。
進化だとか、環境に適応するように生物が変化するっていうけれど、
家畜として人間社会に組み込まれるっていうのは、すごいことなのだろう。
いっぽうで、象や馬は完全に家畜化されないとも言われる。
また、犬に対して、とくに何かの役に立てとはいわない飼い主が多いと思うのです。
ただ居てさえくれればいい、存在しているだけでじゅぶんだよと。
そして、重い病気の子どもや老人にも、
同じように存在しているだけでの価値を認めたりする。
そして、それが尊いように思えたり。
そういった愛のあり方を考えて、
人間の高尚さを信じたりしそうになるけれど、
気づいてみれば、犬の人間に対する愛のあり方こそが
「存在しているだけで十分です」というカタチだったりもする。
ま、エサをくれればっていうのもあるけれど。
たいがい、犬は人を社会階級や人種や性別で差別しない。
人間にも、犬のように、本質的にその存在だけを認めて差別しない種類のもいますが、
さっきも書いたように、
近縁種のチンパンジーが自分の仲間とは、犬種がそうであるように協力的ではなくて、
競争する性質であることから、人間は犬との共進化の過程で、
「差別のない愛」という概念を犬を通じて知ったのかもしれない。
本書の中での、他の本からの喩えの引用では、
犬を「カント学徒のようだ」と書いてあった。
カントって哲学者は、いろいろな肩書や偏見みたいなものを取りさらったうえで、
人間をみていたのだろうか。
と、まあ、そういうことが書いてあったり考えたりするようになる本です。
犬を飼っている犬好きの人が読むと、すごく楽しい気分で読み終えられそうです。
ぼくは犬を飼ったことがないけれど、それでも犬は好きなので、
やっぱり愉快な気分で読んでいる時間が多かったですね。
「犬と人は相互に影響を与えながら共進化した」
あくまで仮説ですが、おもしろかったです。
『ヒトはイヌのおかげで人間になった』 ジェフリー・M・マッソン 桃井緑美子・訳
を読んだ。
人と犬はお互いに影響を与えながら共進化したのではないか、
という仮説を、数々の経験や、論文や著作などからの引用で
楽しく語った本です。
著者にはベンジーという名前のゴールデンレトリバーがいて、
その屈託ない性格に惚れこんでいるので、
いくぶん上ずったような調子でもって、
その飼い犬・ベンジーの様子について語られるのが本書の始まり。
その後も、何度もベンジーを例にとっての犬の性質の考察がなされます。
そのベンジーとは、盲導犬としての訓練に不適合になった犬で、
説明や描写などから、気持ちに弱いところがありながらも、
ずいぶんと良心的な自由を謳歌しているように読めます。
でも、すごく愛らしくて愉快さをもたらしてくれる犬であるようです。
人の近縁であるチンパンジーは「競争する性質」を持っていて、
人ともっとも仲良しの異種である犬は「協力する性質」を持っている。
人は、助けあうことや愛することを犬との共生の中で獲得した、
つまり犬に教えられたとする仮説が本書の中心。
犬と人間の共進化、
お互いに影響を与えながら今の姿になっているという説はなかなかおもしろい。
犬は狼を基準として幼形成熟(ネオテニーと言われる)した種族ということで、
家畜化されてそういうふうになったのだけれど、
よくまあ短いスパンで野生のこわい狼が、
そんなやさしい犬になったもんだと思う。
ソ連時代のロシアの研究で、ギンギヅネの実験というのがあるそうで、
キツネを飼いならしていくと代替わりしていくにつれて、
頭蓋が小さくなり、歯も小さくなり、耳がたれたりなどし、
姿が変わって性格もおとなしくて人懐こくなったそうです。
40年という年月でそうなったらしいですが、
家畜化はそんな短い期間で起こるのだな、とちょっと驚きました。
イノシシが豚になり、野牛が乳牛やら肉牛になり、
鶏がいて、羊がいて、ヤギがいて・・・・。
進化だとか、環境に適応するように生物が変化するっていうけれど、
家畜として人間社会に組み込まれるっていうのは、すごいことなのだろう。
いっぽうで、象や馬は完全に家畜化されないとも言われる。
また、犬に対して、とくに何かの役に立てとはいわない飼い主が多いと思うのです。
ただ居てさえくれればいい、存在しているだけでじゅぶんだよと。
そして、重い病気の子どもや老人にも、
同じように存在しているだけでの価値を認めたりする。
そして、それが尊いように思えたり。
そういった愛のあり方を考えて、
人間の高尚さを信じたりしそうになるけれど、
気づいてみれば、犬の人間に対する愛のあり方こそが
「存在しているだけで十分です」というカタチだったりもする。
ま、エサをくれればっていうのもあるけれど。
たいがい、犬は人を社会階級や人種や性別で差別しない。
人間にも、犬のように、本質的にその存在だけを認めて差別しない種類のもいますが、
さっきも書いたように、
近縁種のチンパンジーが自分の仲間とは、犬種がそうであるように協力的ではなくて、
競争する性質であることから、人間は犬との共進化の過程で、
「差別のない愛」という概念を犬を通じて知ったのかもしれない。
本書の中での、他の本からの喩えの引用では、
犬を「カント学徒のようだ」と書いてあった。
カントって哲学者は、いろいろな肩書や偏見みたいなものを取りさらったうえで、
人間をみていたのだろうか。
と、まあ、そういうことが書いてあったり考えたりするようになる本です。
犬を飼っている犬好きの人が読むと、すごく楽しい気分で読み終えられそうです。
ぼくは犬を飼ったことがないけれど、それでも犬は好きなので、
やっぱり愉快な気分で読んでいる時間が多かったですね。
「犬と人は相互に影響を与えながら共進化した」
あくまで仮説ですが、おもしろかったです。