拝島正子のブログ

をとこもすなるぶろぐといふものを、をんなもしてみむとてするなり

身をもって日本中に警告を発してくれた志村けんさん

2020-03-30 11:20:36 | 日記
私はコロナに感染していた志村けんさんは絶対回復されて日本中に勇気を与えるくれるものと信じていたが、逆に、その死をもって、いまだ生ぬるい空気が漂っていた日本中に警告を発して下さった。とてつもない衝撃である。都知事の自粛要請の後も散見された集団お花見もこれでなくなるだろう。もし日本がオーバーシュートを免れることができたら、それは志村さんに負うところが大きいと思う。今の日本人の多くは志村さんと言えばバカ殿様やしむら動物園なのだろうが、私にとって志村けんと言えばドリフターズ、ドリフターズと言えば全員集合。初めて志村さんをテレビで見たのも半世紀前の「全員集合」だった。「なんだ、馬鹿野郎」で有名な荒井注さんがドリフターズを脱退して、代わりに加入したのが志村さんだった。始めの頃は受けなかった、とWikiにあるが、それはたしかであった。ブレイクしたのは東村山音頭。何番かまであって、何番かによって丁目が違っていて、最後は「一丁目」。股間に白鳥の頭を付けて「いっちょめ、いっちょめ」と叫んでいた。あと、「七つの子」の替え歌も大受けだった。「カラスの勝手でしょー」と歌うところでは会場の子供達がマイクが拾えきれないほどの大声で唱和していた(ドミンゴのリサイタルで、ドミンゴがアンコールでときどき会場に向かって一緒に歌おうと呼びかけるが、日本の聴衆はほとんど無反応。子供の頃のこの無邪気さはどこに消えたのだろう。いや、日本どこでもの話ではない。九州のお客さんは大声で「乾杯の歌」を唱和していた。そのドミンゴもコロナに感染したという。容態が気になる)。荒井注さんは脱退した後も「全員集合」に出たことがあって、志村さんに、「お前、もう一回おれと入れ替わろうよ」と言って笑いをとったのを覚えている。それにしても、志村けんさんは、コメディアンという前情報なしにその写真のお顔を拝見すると、まるで大学教授の風格である。お父様は教師をされていたそうだ。遠い遠い芸能界の方であるが、その訃報に接し真に悲しかった。志村けんさんのご冥福をお祈りします。

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