ロンドンの6月下旬は、すでに夏真っ盛りということらしい。朝晩は上着が欲しくなるほどの涼やかさなのだが、午前9時を過ぎるころには日差しは容赦なく肌を刺して、夕方5時ころまで気温が上昇し続ける。私たちが滞在した10日間は快晴が続き、最高気温は28度に達する日もあった。日本ほど湿度が高くないからか、木陰に入ると心地いいのだが、炎天下は東京の猛暑日の気分だ。暗くなるのは午後9時近い。
私と妻がヒースロー空港に到着したのは日曜日の朝。地下鉄を乗り継いでベイカー・ストリートにたどり着き、拠点とするアパートメンツに荷を預けるや周辺探索に出る。近くのリージェンツ・パークを散歩しているうちに方向が分からなくなり、いつの間にか日曜恒例らしいファーマーズマーケットに潜り込んでいる。近在の農家が手作りの食料品をテントに並べていて、私たちもこれから用にチーズやサラミを買い込む。
のちのち地図を確認すると、私たちが彷徨ったのはMaryleboneというロンドン中心部に近い住宅街で、通り抜けた公園はPaddington Street Gardensらしい。そこで人々は、大きな(日本では見られないほど大きな)プラタナスの木陰で思い思いに日曜日の朝を過ごしている。公園の周囲に広がる、美しく花で飾られた高級フラットの住人たちだろうか。穏やかな光景に、豊かでゆとりに満ちた暮らしぶりがうかがえる。
木陰のベンチも芝の上で輪になっているグループも、全て白人のようだ。ロンドン市民の60%は移民やその子孫、あるいは近年では難民といった人々が占め、語られる言語は大変な数に上るらしい。確かに地下鉄に乗ると、様々な肌の色が乗り合わせ、白人は決して多数派ではない。そしてそれらの人々が、違和感なく隣り合っている。ただ、暮らしの場はそれぞれがコミュニティーを形成し、住み分けているのだろう。
別の日、メリルボーン駅の先にマーケットがあると知って出向くと、HALALと明記した食堂が並び、商う人も客たちも明らかにアラブ系で、テントに並ぶ衣料品は日本人には見慣れないデザインが多い。骨董ビルは国籍不明のショップがひしめき、地下に大きな壺や石像を並べる高級店は、紛れ込んだ私になど目もくれず、男たちがひそひそと話し込んでいる。中東から密かに持ち出された美術品の取引かと妄想が膨らむ。
ロンドンは多国籍都市であることが、素直に認識される。人種間の軋轢を内在しているのかどうかまでは分からないけれど、そうした問題は、開催中のワールドカップのイングランド代表が、肌の色を超えて一体化しているように、違和感なく街に溶け込んでいる。この有色人種の労働力がなければ、木陰に憩う白人たちの暮らしは成り立たないに違いない。労働力不足が深刻化している日本は、どんな道を選ぶのだろう。
ヴィクトリア&アルバート・ミュージアムで膨大な陳列棚に疲れ、ベンチに座っていると、「日本の方ですか?」という声がする。インド系らしい整った目鼻立ちの女の子たちだ。授業で見学に来た高校生らしい。「私、日本に興味あります」と、たどたどしい日本語を操る女の子たちの、屈託のない率直さが心地よい。移民を受け入れるなら、子孫がこの娘たちのように、幸せになれるのでなければいけない。(2018.6.24-7.2)
私と妻がヒースロー空港に到着したのは日曜日の朝。地下鉄を乗り継いでベイカー・ストリートにたどり着き、拠点とするアパートメンツに荷を預けるや周辺探索に出る。近くのリージェンツ・パークを散歩しているうちに方向が分からなくなり、いつの間にか日曜恒例らしいファーマーズマーケットに潜り込んでいる。近在の農家が手作りの食料品をテントに並べていて、私たちもこれから用にチーズやサラミを買い込む。
のちのち地図を確認すると、私たちが彷徨ったのはMaryleboneというロンドン中心部に近い住宅街で、通り抜けた公園はPaddington Street Gardensらしい。そこで人々は、大きな(日本では見られないほど大きな)プラタナスの木陰で思い思いに日曜日の朝を過ごしている。公園の周囲に広がる、美しく花で飾られた高級フラットの住人たちだろうか。穏やかな光景に、豊かでゆとりに満ちた暮らしぶりがうかがえる。
木陰のベンチも芝の上で輪になっているグループも、全て白人のようだ。ロンドン市民の60%は移民やその子孫、あるいは近年では難民といった人々が占め、語られる言語は大変な数に上るらしい。確かに地下鉄に乗ると、様々な肌の色が乗り合わせ、白人は決して多数派ではない。そしてそれらの人々が、違和感なく隣り合っている。ただ、暮らしの場はそれぞれがコミュニティーを形成し、住み分けているのだろう。
別の日、メリルボーン駅の先にマーケットがあると知って出向くと、HALALと明記した食堂が並び、商う人も客たちも明らかにアラブ系で、テントに並ぶ衣料品は日本人には見慣れないデザインが多い。骨董ビルは国籍不明のショップがひしめき、地下に大きな壺や石像を並べる高級店は、紛れ込んだ私になど目もくれず、男たちがひそひそと話し込んでいる。中東から密かに持ち出された美術品の取引かと妄想が膨らむ。
ロンドンは多国籍都市であることが、素直に認識される。人種間の軋轢を内在しているのかどうかまでは分からないけれど、そうした問題は、開催中のワールドカップのイングランド代表が、肌の色を超えて一体化しているように、違和感なく街に溶け込んでいる。この有色人種の労働力がなければ、木陰に憩う白人たちの暮らしは成り立たないに違いない。労働力不足が深刻化している日本は、どんな道を選ぶのだろう。
ヴィクトリア&アルバート・ミュージアムで膨大な陳列棚に疲れ、ベンチに座っていると、「日本の方ですか?」という声がする。インド系らしい整った目鼻立ちの女の子たちだ。授業で見学に来た高校生らしい。「私、日本に興味あります」と、たどたどしい日本語を操る女の子たちの、屈託のない率直さが心地よい。移民を受け入れるなら、子孫がこの娘たちのように、幸せになれるのでなければいけない。(2018.6.24-7.2)
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