今日は、この街にいます。

昨日の街は、懐かしい記憶になった。そして・・

576 ベルリン(Berlin)=1= ドイツ

2014-07-18 16:39:52 | 海外
ベルリンに到着したのは夏至の夜だった。そうでなくても日本に比べ夜になるのが遅いヨーロッパにあって、1年で最も長い昼は9時近い街に明るさを残している。ホテルのバーは妙にざわめき、通りは黒赤黄の3色旗の小旗を掲げた車が走り回っている。ドイツは夏至に大騒ぎする風習かと思ったら、開催中のWカップで、間もなくドイツがガーナと対戦するのだという。面白い日に来合わせたものだが、遠来の客は時差には勝てない。



今回の旅を前に、2本の映画を観た。『ベルリン・天使の詩』と『グッバイ、レーニン!』だ。1987年公開の仏独合作『天使の詩』は、敗戦の荒廃を色濃く残すベルリンが舞台。『レーニン!』は「壁」崩壊前後の東ベルリン市民を描いた2003年公開の独映画だ。私は「壁」が崩壊する3年前の1986年10月にこの街を訪問している。映画に描かれた時代の、ちょうど中間ということになる。壁が視界を塞ぎ、黒焦げの議事堂が建つ街だった。

(1986年10月12日写す)

上の写真はその際に訪ねたブランデンブルク門で、西ベルリンから東へは壁に塞がれ通り抜けることができず、壁の手前の殺風景な広場を、西側市民が寒そうに行き来していた。今度こそ通れるぞと勇んで出かけたのだが、かつての東側の正面こそ明るく解放され、観光客でにぎわっているものの、その先は舞台が設けられ、通行できない。Wカップ独戦のパブリックビューイング会場に占拠されているのだ。私は門と相性が悪いのだろうか。



門から国会議事堂に向かう100m余の通りに沿って、緑地を囲むフェンスに白い十字架が架けられている。その数は十数本にのぼる。通りに沿って延びていた壁を越え西側への脱出を試みた東側市民の、命を落とした場所であるらしい。射殺された男性の写真を十字架に掲げるなど、冷戦が分断した市民の悲劇をこの街は隠そうとしない。国内外から多くの観光客がやって来るベルリンが「われわれの歴史を忘れないでくれ」と言っている。



28年前の私の西独一周旅行は、その経済界に招かれてだったのだが、行程で唯一求められたのは「ベルリンに行く」というものだった。すでに東西の経済優位は結着が見えており、西側の「われわれは必ず統一する」という意思を世界に知らしめる活動のようだった。東ベルリンに入る許可が出て、チェックポイント・チャーリーを車で通過する時は、銃を突き付けられたような緊張を味わった。東ベルリンは整然かつ閑散としていた。



当時、国会議事堂は黒く焼けただれていた。しかし案内してくれたドイツ人はあたかも既定事実であるかのように「統一後は国会になる」と断言した。そして再統一が実現して、私はドイツ民族の強さをまざまざと見た思いになった。あれだけの戦渦を被り、冷戦に翻弄されながら、既定事実のように再統一を果たし、経済を復興してヨーロッパの主要国としての地位を奪還したドイツ。強過ぎて、隣人は怖いのではないかとさえ感じる。



『ブリキの太鼓』のギュンター・グラスは「私は統一国家を拒否する」と発言し、「むしろ二つのドイツの国家連合、あるいは経済的に緊密で政治的にも文化的にも、緩やかな同盟といった可能性が探れないか。ドイツの統一国家は、プロシャ主導によるドイツ帝国から、ナチスによる第三帝国までのわずか75年に過ぎず、それは隣人に、またドイツ国民に、幸せよりも不幸をもたらさなかったか」と書いた。どうなのであろう。(2014.6.21-24)












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