今日は、この街にいます。

昨日の街は、懐かしい記憶になった。そして・・

578 ベルリン(Berlin)=3= ドイツ

2014-07-19 21:35:13 | 海外
イタリア女性に言わせると「ドイツはいつも雨よ」なのだそうだが、ベルリン滞在中、何度か傘を必要としたものの概ね青空に恵まれた。空気は乾き、蒸し暑さとは無縁の日差しが肌を刺して来る。長袖が手放せないほど涼しい日々を、快適に旅を続けながら、いつも思いに「戦争」がつきまとった。とりわけナチズムのことである。ブランデンブルク門の南に広大なモニュメント・ホロコースト記念碑がある。何故、あんなことが‥‥。



日本人が多くを手本とした優れたドイツ民族が、なぜ易々とナチスの台頭を許し、その極端な非人道的悪行に加担してしまったのか。ドイツを考える時、必ず引っかかる疑問である。『ブリキの太鼓』で、主人公の少年の父親がナチスの茶色の制服を身に着け、嬉々として集会に向かう場面がある。そんな風潮が社会を覆っていたのであろう。市民は考えることを放擲し、閉塞感を増す社会を忘れようとした。信じ難いほど無批判な行動である。



しかしそんな「信じ難い」風潮は、いつも身近で息をひそめているのではないか。収容所体験を持つドイツの哲学者、ハンナ・アーレントは、アイヒマン裁判の傍聴を続けて「彼は命令や法律に従っただけの平凡な普通人」と断じた。その所行は「善悪を判断しようとする意思に欠け、他の苦痛に思いを至らす想像力もない凡人だから遂行された」と傍聴記を発表し、非難を浴びる。人間が自分の内に隠し持っている危うさを指摘したのだ。



ドイツの良心、といった観のあるトーマス・マンは戦争末期、亡命先の米国でこう分析した。「悪しきドイツと良きドイツと二つのドイツがあるのではないということ、ドイツはひとつだけであり、その最良のものが悪魔の策略にかかって悪しきものになったのだ、ということであります。悪しきドイツ、それは道を誤った良きドイツであり、不幸と罪と破滅のうちにある良きドイツであります」(岩波文庫『ドイツとドイツ人』)。

(1986年10月18日、東西ドイツ国境で写す)

28年前の旅行で出会ったドイツ人は、みな親切で優秀な市民であった。そして「40年前に同胞が行った」ホロコーストの事実に、深く傷つき、その傷はとうてい癒せないと感じているようだった。ハンブルグ近くの東西ドイツ国境では「Halt!」の文字が行く手を遮り、トーチカから銃口がこちらを向いていた。少子化問題を訊ねた西独の若者は「いつ戦車が国境を越えて来るか分からないのに、子供を産めますか」と現実を吐露した。



それから四半世紀、再統一されたドイツは明るく若々しくなったように見える。世代が変わり、あの挫折感も姿を薄れさせているようだ。荒涼としていたポツダム広場には高層ビルが林立し、ソニーセンターの天空には富士山を模したらしいテントが陽を浴びている。ベルリンフィルのホールとともに、映画『ベルリン・天使の詩』のサーカス小屋を思い出させる姿で、瓦礫の街を復興させたドイツ人の頑張りが静かに伝わって来る。



旧西ベルリンの中心部に建つカイザー・ヴィルヘルム記念教会は、ベルリン大空襲で焼けただれた塔はそのままに、街の歴史を伝えている。28年前にはなかった新設の礼拝堂に入って、海の底に迷い込んだかと息を飲んだ。ブルーのステンドグラスに囲まれた堂内に眼が慣れて来ると、暗く沈んだ座席の列に、瞑想する市民たちの姿が浮かんで来た。ドイツの心ある人々には、あの戦争犯罪が薄れることはないのかもしれない。(2014.6.21-24)








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