今日は、この街にいます。

昨日の街は、懐かしい記憶になった。そして・・

427 フィレンツェ =1=(イタリア)

2012-02-24 20:56:21 | 海外
白い頬を紅潮させた坊やは緑のスカーフをまとい、赤のつなぎが愛らしい。クリスマスの散歩に連れ出したパパとママは、息子をイタリア国旗でまとめたのに違いない。ここはフィレンツェのシニョリーア広場。石畳を駆け回る坊やは将来、彼の後方に立っているダビデのように逞しくなるかもしれない。ダビデ像は今は美術館に納められているけれど、ミケランジェロから200年ほどの間は、このヴェッキオ宮殿前に立っていたのである。

        

ローマの街かどで「1861>2011>>」と記されたポスターを見かけた。この国が統一されてまだ150年にしかならないのだということが、西欧史に疎い私には新鮮な驚きだった。何しろ「イタリア」は、神聖ローマ帝国以来の最も古い国家であると思い込んでいたものだから、明治維新によって幕藩体制が滅んだ日本と同じころに、同じような社会革命を経過して成立した国だなんて、どこか拍子抜けした不思議な気分にさせられる。

        

フィレンツェはそうしたイタリア半島のほぼ中央にあって、毛織物業でヨーロッパの富を掻き集めた、商工業と金融の共和国であった。だからイタリア王国成立後、統一国家の首都はローマに移るまでこの街に置かれたのだが、そんなことよりこの街が、中世ルネサンスの震源地であったことが重要だ。ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、ラファエロらがこの広場を行き交っていたのだと思うと、私も坊やと一緒に駆け出したくなる。

        

ただ今日はクリスマスで、観光客目当てのレストランを除けば、美術館もブティックも全て休業である。地元の家族連れを別にすれば、結構な賑わいである街はほとんどが海外からの客のように見受けられた。街のシンボルであるサンタ・マリオ・デル・フィオーレ大聖堂は、そうした観光客が大勢群がっていたけれど、司祭が到着するとクリスマスのミサが始まるのだろう、門衛が済まなそうな顔をして正面の扉を閉じた。

        

仕方がないから街を歩いてみる。すぐ近くにメディチ家のリッカルディ宮があった。金融業による富で実質的な街の支配者となった一族は、ルネサンスを具現する天才たちのパトロンでもあった。「その邸宅は3階建てで、用いられた石材は上の階に行くごとに滑らかに加工されている」といったことを美術だか歴史の時間に習ったのは中学生の時だった。突然そんなことが思い出され、習った通りの邸宅が眼前にあることに感慨を覚える。

        

街は統一王国の首都となって大改造されたのだそうだが、主要な通りを除けば道は気ままに入り組んで、中世の都市が自然発生的に拡大して行った姿そのままではないかと思わせる。石畳はすり減り、石壁の汚れは街の風雪が染み込んだのだろう。石の国の人たちは、その扱いに馴れているのだろうか、空中高く延びたクレーンの先に巨大な石材を釣り下げたままクリスマス休暇に入ったようで、木の国から来た旅行者は頭上が気になる。

        

ミケランジェロやガリレオの墓所だというサンタ・クローチェ教会は、大きな広場に面して建っている。ローマのナヴォーナ広場などに比べたら、噴水もなくカフェがテーブルを連ねているわけでもなく、素っ気ない殺風景な広場だ。一方、レプッブリカ広場ではメリーゴーランドが回り、風船売りの声も響いてくる。ギターの弾き語りやアコーデオンでサンタルチアを熱唱するミュージシャンらが観光客を喜ばせている。(2011.12.25)

        





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