goo blog サービス終了のお知らせ 

今日は、この街にいます。

昨日の街は、懐かしい記憶になった。そして・・

197 蘇州(中国)・・・名所より路地の奥こそ笑顔あり

2009-03-21 23:12:17 | 海外

「不覚なことに、案内されるままにバスに乗り、かつ降り、名所旧跡ばかりを観た。(こんなつまらない町が、蘇州か)と、つい思うようになった」。これは私の文章ではない。司馬遼太郎氏が最初に蘇州(Suzhou)を訪問した際の感想だと『街道をゆく~中国・江南の道』に記している。私たちの旅に先立つ30年前のことだが、留園、寒山寺、虎丘・・・似たようなコースだったのだろう。私が抱いた感想そのままなので、ここに転載させていただく。

旅人はイチゲンの客に過ぎない。だから滞在時間の多寡によって、得る見聞は異なり印象もそれによって違ってくるのは致し方ない。しかし時間をいくらか増やしたところで、旅人は所詮、生活者には成れないのであって、その限られた体験で土地を判断するしか無い。それで印象が(土地人には)的を外れたものになったとしても、あくまでもそれは旅人の印象であるという限りに置いては正しく、同時にそれだけのことなのである。

さて、蘇州である。私も(つまらなかった)のだ。しかしそれは蘇州という街がつまらないのではなく、ツアーがつまらなかったのだ。最初に留園に案内されたのがいけなかったのだろう、江南屈指の名園といわれるその「美」に、私はついて行けなかった。太湖の湖底から採取される太湖石が、造園者の富と権力を象徴しているというのだが、なるほど富や権力というものはグロテスクであって、いくら眺めても「美」とは無縁である。

寒山寺は国内ツアーの観光客で賑わっていた。高校時代に習った漢詩を懐かしもうと期待していただけだったから、つまらなくても落胆はない。余談になるが、私の人生で「漢文」を学んだのは、高校1年生の、週1度の授業しかない。教師は出席簿で頭をたたく困った癖を持ってはいたものの、漢詩・漢文に触れることができたのは、今思えば貴重な時間だったということになる。

私が「もう、行くのは止めよう」とだだをこねた虎丘だったのだが、案外、よかった。丘上に建つ傾いた煉瓦積みの塔は千年の風雪が眼に馴染んで、過剰な装飾も鬱陶しくはない。廃墟のような境内から俯瞰する、夕靄が立ち始めた江南の農村風景も心地よかった。かの蘇東坡が「蘇州で虎丘に遊ばないとすれば憾事だ」と言っているそうだから、まあ行っておいて正解だったのだろう。

虎丘は「呉中第一の名勝」と言うように、蘇州は春秋時代の呉国の首都であり、2500年の歴史がある。絹織物で大いに繁栄した街で、いまでも結婚が決まった上海の女性は、こぞって蘇州でウエディングドレスを調達すると聞いた。一見の客には窺い知れない深さを持った街であるらしく、留園の門前には大きなショーウインドウに純白のドレスを展示した店がずらりと並んでいた。

「名所はもう十分だから、蘇州の普通の街を歩きたい」とガイドの青年に頼んだ。彼は考え込んだあげく、運河に沿って古い家並を整備したテーマパークのような趣の街区に案内してくれた。「山塘街」と言って、日本流に言えば伊勢の「おかげ横町」のようなところらしかった。

上の写真はその路地裏に入り込んでのスナップで、漆喰の剥げた壁がいい。奥に童女がしゃがみ込んで、下水にまたがって用を足していたようだ。下着をズリ上げながら「ニイハオ」とあどけない笑顔を見せた。(2008.12.25)

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 196 安曇川(滋賀県)・・・... | トップ | 198 周荘(中国)・・・江南... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

海外」カテゴリの最新記事