ローマで食事をしたレストランのオーナーが、日本人女性だった。同世代の私たちが気に入ったらしく、オーナー席だというテーブルに招きワインを振る舞ってくれた。34歳で東京からローマにやって来て、来年で日本とイタリアの人生が同じ歳月になると言った。なぜローマで生きると決めたのかと問うと、「この街が一番素敵だったから」と答えてくれたけれど、実際はそう簡単な話しではあるまい。異境での波乱の半生だっただろう。
人は、生まれる土地を選ぶことはできない。しかし近代社会では、生きて行く場を選ぶことは自由である。それがたまたま海を渡った異境の地であっても、そこの空気が日本以上に肌に馴染むという人もいるだろう。イタリアに惹かれる日本人は多い。そうしたなかには「ここで生きよう」と決意する人も出て来るだろう。レストランの女主人もその一人だし、広く名が知られているといえば、作家の須賀敦子さんがそうだったのだろう。
「アヴェンティーノに行くのなら、朝でなければ、と、ローマっ子のいうのも、行ってみればすぐうなずけます。前にいった、サンタ・サビナの横の公園の見晴し台から、テヴェレ河をへだてて、朝の陽光のなか、ずっと遠くに、しずかに息づいている、サン・ピエトロの白い大理石の円屋根にいたる甍の波をみる度に、この永遠の都の気高さに、その豊かな美しさに、思わず手をうって喜びのこえをあげたくなるのは、私だけでしょうか」
この須賀さんの文章に出会ったから、私たちも朝のアヴェンティーノの丘に登ってみた。「朝でなければ」とローマっ子がいうのは、朝日を背にしてローマの街を見晴らす位置にあるからだと分かった。手を打って喜びの声を挙げることはなかったけれど、そんな気分になることは十分に理解できた。何よりも清潔で、静寂であることが素晴らしかった。地下鉄の、駅の汚れに辟易とさせられる街に、こうした空間があることの不思議である。
そして須賀さんは、イタリアに惹かれた理由をこう書いている。「(フランス人のような)細く研ぎすまされた純粋の知性の産物というのではない。それどころか、そういったもののほとんど対極に位置する〈肉を伴った〉とでもいうのか、例えば人間の深みや大きさ、すなわち、イタリアという国の人たちがしばしばみせかけの表層の裏側にひそかに抱えている、真実の愛情の重さのようなものを、私はそこに読みとったのではなかったか」
レストランで女主人は「イタリア人は、自分の考えをきちんと主張するよう教育され、徹底して説明できるようになる。そのことがいい」と語った。日本にはそうしたことを厭う風土がある、ということであり、むしろ彼女にはイタリア的気風が性に合ったということなのだろう。しかし一方で、そのイタリア人気質が鬱陶しくて、日本に留学してみたら実に気持ちが安らぐ社会だったと明かすイタリア人女性を、私は複数知っている。
生まれ育った土地で一生を送るのもいい。言葉さえ通じない未知の社会に飛び込んで行くのもいいだろう。後者はたぶん、とんでもない苦労を伴う生き方なのだろうけれど、「そうするしかなかった」という人生もあろう。女主人も「食べたものを全て吐き出す日々が続いたことがあった」と明かすのだが、いまは店を拡張し、経営を息子に託し、客との会話を楽しむ日々だ。テルミニ駅に近い「TOMOKO TUDINI」という店で。(2011.12.22-27)
人は、生まれる土地を選ぶことはできない。しかし近代社会では、生きて行く場を選ぶことは自由である。それがたまたま海を渡った異境の地であっても、そこの空気が日本以上に肌に馴染むという人もいるだろう。イタリアに惹かれる日本人は多い。そうしたなかには「ここで生きよう」と決意する人も出て来るだろう。レストランの女主人もその一人だし、広く名が知られているといえば、作家の須賀敦子さんがそうだったのだろう。
「アヴェンティーノに行くのなら、朝でなければ、と、ローマっ子のいうのも、行ってみればすぐうなずけます。前にいった、サンタ・サビナの横の公園の見晴し台から、テヴェレ河をへだてて、朝の陽光のなか、ずっと遠くに、しずかに息づいている、サン・ピエトロの白い大理石の円屋根にいたる甍の波をみる度に、この永遠の都の気高さに、その豊かな美しさに、思わず手をうって喜びのこえをあげたくなるのは、私だけでしょうか」
この須賀さんの文章に出会ったから、私たちも朝のアヴェンティーノの丘に登ってみた。「朝でなければ」とローマっ子がいうのは、朝日を背にしてローマの街を見晴らす位置にあるからだと分かった。手を打って喜びの声を挙げることはなかったけれど、そんな気分になることは十分に理解できた。何よりも清潔で、静寂であることが素晴らしかった。地下鉄の、駅の汚れに辟易とさせられる街に、こうした空間があることの不思議である。
そして須賀さんは、イタリアに惹かれた理由をこう書いている。「(フランス人のような)細く研ぎすまされた純粋の知性の産物というのではない。それどころか、そういったもののほとんど対極に位置する〈肉を伴った〉とでもいうのか、例えば人間の深みや大きさ、すなわち、イタリアという国の人たちがしばしばみせかけの表層の裏側にひそかに抱えている、真実の愛情の重さのようなものを、私はそこに読みとったのではなかったか」
レストランで女主人は「イタリア人は、自分の考えをきちんと主張するよう教育され、徹底して説明できるようになる。そのことがいい」と語った。日本にはそうしたことを厭う風土がある、ということであり、むしろ彼女にはイタリア的気風が性に合ったということなのだろう。しかし一方で、そのイタリア人気質が鬱陶しくて、日本に留学してみたら実に気持ちが安らぐ社会だったと明かすイタリア人女性を、私は複数知っている。
生まれ育った土地で一生を送るのもいい。言葉さえ通じない未知の社会に飛び込んで行くのもいいだろう。後者はたぶん、とんでもない苦労を伴う生き方なのだろうけれど、「そうするしかなかった」という人生もあろう。女主人も「食べたものを全て吐き出す日々が続いたことがあった」と明かすのだが、いまは店を拡張し、経営を息子に託し、客との会話を楽しむ日々だ。テルミニ駅に近い「TOMOKO TUDINI」という店で。(2011.12.22-27)
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