阿寒湖畔のホテルにチェックインすると、「今夜から千本タイマツが始まります。ご参加いただけるようでしたら8時にロビーにご集合ください」と告げられた。宿泊客に松明を提供し、温泉街にあるアイヌコタンまで行進するのだという。観光協会の客寄せイベントなのだろうが、アイヌの人たちと交流できるのは、最大のコタン(集落)がある阿寒ならではの趣向だ。私たちは行進は遠慮したものの、アイヌの「古式の舞」を観に出かけた。 . . . 本文を読む
雨が降った気配はないのに、芝はしっとり濡れている。ひょっとすると霧が立ち籠めていたのかもしれない。ここは帯広の緑が丘公園。街の中心部と大通りで結ばれる広大な市民広場だ。園内に点在する帯広百年記念館や道立美術館は開館までまだ間があるのだが、公園の芝生エリアは早くもお年寄りが大勢集まって賑やかだ。パークゴルフの愛好者たちで、仲間と楽しむゆとりを持った健康な高齢者なのだろう、笑いが弾けている。 . . . 本文を読む
「なかさつない」という村に、美術館が点在する森があるという。そのことを美しく紹介したテレビ番組を観たものだから、いつか行ってみたいと思っていた。日高山脈の裾野、カシワやミズナラが空を覆う原野で、厳しい自然と戦いながら開拓が進められてきた土地だと、村のホームページは誇らしく書いている。人口4000人は、北海道では一番大きな村だといい、住民は隣接する帯広市との合併を拒み、独自の村づくりを進めている。 . . . 本文を読む
北海道への出張の折り、大雪山系南麓の鹿追という町に行きたいと思い、電車とバスによるアクセスをずいぶん調べたことがある。神田日勝の絵を、彼が生きた開拓の地で観たかったのだ。しかしずいぶん不便なところで、車でなければ立ち寄り難いと分かり断念したのだが、その際、近くに新得という町があり、根室本線の駅があることを知った。今回は富良野から車で深い樹海を抜け、狩勝峠を越えると初めての街が新得だった。 . . . 本文を読む
富良野高校前を通りかかると、生徒たちが校庭にグループを作り、様々な仕草で踊っていた。陽はすでに山の端に隠れ、近くのカフェではテラスのテーブルを片付け始める時刻だったが、高校生はグループダンスに夢中である。帰宅して学校のホームページを開くと「学校祭開幕!」の特集が組まれていた。「クラスアピール」という場があるようで、どうやらその練習だったようだ。旅先で若者の笑顔に出会うと、こちらまでうれしくなる。 . . . 本文を読む
見渡す限りの大地が緩やかな曲線に縁取られ、登って下り、再び登って斜めに流れ、稜線を重ねていく。電線一つない空とは、こんなに気持ちいいものだったかと感心し、深呼吸する。これが美瑛の名高いパッチワークの丘なのかと、今度は感動とともに深呼吸する。快晴の丘陵に流れるわずかな風に、いいところだなあとただ感嘆する。だがこの大地を伐り拓いた人々の苦労はいかばかりであったかと考えると、感極まる思いにもなる。 . . . 本文を読む
雪の小樽を訪ねた。観光名所の運河は中国人観光客でにぎわっていたし、冬の寿司ネタが素晴らしいことは私自身が確認した。しかし書いておきたいのは「文学館」のことだ。小樽駅からまっすぐ港へ延びる「中央通り」の南側を、平行して下って行く大通りは「日銀通り」と呼ばれ、港湾経済華やかなりしころの街の風格を留めている。そのなかほどの旧日銀支店と、通りを挟んで向き合う建物に小樽文学館がある。
古いビルを再利用し . . . 本文を読む
スキー場に「積雪250センチ、降雪0センチ、しまり雪、気温1℃」と表示されている日、夕張の街を歩いた。たまに車が行き過ぎるけれど、歩いている人は見当たらない。市美術館も石炭歴史村も幸福の黄色いハンカチ想い出広場も、すべて冬期休業中だ。仕方がないから市役所に行って、最近3ヶ月の「広報ゆうばり」をいただいて帰る。巻末に前月の人口が掲載されていた。-49人、-37人、-20人。市民の流出が止まらないよ . . . 本文を読む
夕張に向かうため小樽での予定を早めに切り上げ、札幌で高速バスに乗り継ごうとしたら、2時間余の待ち時間が生じてしまった。夕張へのバス便はそれほど少ない、ということだが、それはともかく、どうしたものかと思案したあげく、手軽な選択としてJR札幌駅の駅ビル探検を試みることにした。札幌にはこれまで何度か来ているものの、駅はいつも通過するだけだったから、再開発された評判の駅ナカを未だ体感していないのだ。
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街と美術館について、まだ考えている。そして思い出しているのは釧路のことだ。私がこの「夏なお寒い」霧の街を訪ねたのは8月下旬。啄木ではないから、駅に降りても「さいはての駅に下り立ち雪あかりさびしき町にあゆみ入りにき」などとは詠わなかったが、「ステーション画廊 最後の展覧会」という看板を見かけ、寂しい思いになったのは啄木と似た気分だったかもしれない。私は初めての街で、はからずも美術施設のレクイエムに . . . 本文を読む
灯台がボーボーと霧笛を鳴らすmistyな昼下がりだったからだろうか、「米町」を歩いていた私は奇妙な感覚に襲われ、何とも落ち着かなかった。ここは北海道、釧路川河口の左岸高台に広がる住宅地で、「釧路発祥の地」の栄誉が与えられている町内である。往時は商人が街づくりを指揮して道を開き、花街から嬌声が響いたこともあったというけれど、いまは人の気配は希薄で、寺と歌碑がやたらと目につくMystery Town . . . 本文を読む
釧路の夏は霧が深く、寒い。釧路川が濃い霧に包まれた朝、街のシンボル「幣舞橋」をOLらしき女性が渡って行く。職場に向け急いでいるのだろう、しっかり長袖を着込んでいる。「釧路の夏を見つけた!」と、私はすかさずシャッターを切った。見事にそのチャンスを捉えたと思うが、いかがであろう。かくいう私は、想定外の寒さに持参したシャツをすべて着込み、襟が二重という哀れな格好である。何しろ日中の気温が16度なのだ。 . . . 本文を読む
丹頂鶴に対面した時、人間の私の方が粛然として居住まいを正したようだった。野生動物は往々にしてそうしたオーラを放つものだが、タンチョウのそれは大した貫禄であった。霧多布の、立秋を過ぎた日の早朝である。沼かと思うほど静かな湿原の川の縁を、彼?はエサをついばみながら近づいて来た。私のことはとっくに気づいているに違いないのだが、全く無視して全身を晒している。北海道の自然の中では、人間の何と小さいことか。 . . . 本文を読む
歴史が浅いからか、あるいは寒冷地だからか、「清潔」という軸を用いた場合、札幌は日本の都市の中で最右翼に位置するのではないだろうか。人間の活動の集合体である都会は、否応なく「澱」が溜まる。清潔であるとは、その澱が薄いということにほかならない。そのことが都市としての魅力に欠けるかどうかは人それぞれで、私のように、日常が「澱の中」を漂っているごとき生活者にとって、この街の清潔感は好もしい。
札幌は人 . . . 本文を読む
「温暖」と「寒冷」の地、選択が可能ならどちらを生活の場として選ぶだろう。私は多分「温暖」の地へとなびくのだろうが、しかしいろいろな意味で北欧が人気スポットであるように、日本でも北海道で暮らしたいという人は多い。確かに「寒冷地」から来る清澄なイメージはなかなか魅力的である。その代表的な街が旭川ではないだろうか。よけいなものはすべて凍り付き、削ぎ落とされて澄みわたっている、のではないか?
寒さ、か . . . 本文を読む