1941年12月7日はアメリカ側から見た日米開戦日です。そこで半藤一利氏のエッセーから戦前の陸海軍と天皇について、セグロカモメの写真と一緒に紹介しましょう。<・・・>が引用部分(・・・)は補足部分
<戦前の昭和天皇のその人を、リアリスティックに「パワーポリティクスの駒の一つ」と観た、ただ一人の人物が松本清張さんです>
<天皇制のもとでは、その国家(官僚)体制に利益する場合のみ、天皇個人の古代神権の絶対性が発揮される。もしそれに反した場合には、それは封じ込められる。二・二・六事件後は天皇も軍部の前に無力化した。それが天皇制の本質である>
<戦前日本が「天皇の名のもとに」底知れぬ無責任と、驕慢な無知と、根拠なき自己過信の(これだけ多くの前置詞は半藤氏の怒りからでしょうね)軍部指導者によって、いかに国家方針が捻じ曲げられていったことか>
<そのプロセスで天皇がいかに困惑するばかりであったか。松本清張さんはわかりやすく説いている。(日本の)官僚体制の特徴の一つは、集団性にある。責任の所在が不明確な点だ>(最近の東京豊洲市場の問題もこの典型的な例でしょう)
<そのポストにある限りは責任を持つが、ポストが変わると、後任者にそれを任せる。引き継ぎはするが、それ以上のタッチは分限を超えるものとしてさしひかえる。かくて人事異動のたびに責任の所在は転々とし、曖昧となり、拡散し、または変質する>
<戦前の軍部天皇制にあっては、天皇が(軍を)統べているが、要所は司々(つかさつかさ=軍官僚)に委ねている。その司々が絶えず(定期人事異動で)変移する(人が異動すると)方針が変異する。その(変異したことでの)責任の所在は不明である>
<統帥する者(天皇)は、困惑を極めざるを得ない。つまり(軍部から見ると)天皇は(軍組織を守るための)駒の一つでしかなかったことになる>(豊洲市場問題の場合は都知事がこの立場となるのでしょうね)
陸海軍という官僚組織は、戦時でも(責任の所在を曖昧とするための)定期的な人事異動を着実に実行、国家よりも官僚組織の防衛を最優先したのでした。現在の官僚組織も議員やマスコミによるしっかりとした監視が必要でしょうが、大丈夫でしょうか。
参考文献:「清張さんと司馬さん」半藤一利著