ロクマルでいこう、60でGo!

" AS SLOW AS POSSIBLE AND AS FIRST AS NECESSARY "

BJHF 2015

2015年07月07日 | PICKUP TRUCKS & 4X4

The Highest Jeep Festival Attendance Yet!


Thanks to all of you Jeep enthusiasts who journeyed to the birthplace of the Jeep to join us for Bantam's 75th Birthday Bash!  Our overall three-day attendance at Coopers Lake was approximately 25,000 (25% more than 2014). Our overall attendance number includes registered Jeep drivers, ticketed passengers, walk-in spectators, volunteers, sponsors and vendors.  It does not include the additional 20,000+ people who filled the streets of Downtown Butler for the Jeep Parade and Invasion.

We also welcomed 2,937 registered Jeeps throughout the weekend.  This result is 1,000+ more Jeeps than in 2014 - simply amazing!  Registered Jeeps came from a record number 38 states and Canada.  This figure does not include the hundreds of sponsor and vendor Jeeps parked in booths or the thousands of Jeeps in the parking area.  

The Guinness World Record Parade was comprised of 2,420 Jeeps making their way to downtown Butler. We will be submitting our documentation to Guinness soon and will be anxiously awaiting their official ruling in the next 8-12 weeks.

 

 今年2015年のBantam Jeep Heritage Festival (BJHF)はジープ誕生75周年を祝う機会ともあってかなり盛大であった。その盛大さを具体的に数字で表すと。3日間(6月12-14)に及ぶイベントで、ペンシルバニア州バトラーにあるクーパーズレイクのイベント会場にチケットを持って足を運んだ人の数は約2万5千人。この数は昨年のイベントよりも25%多い数字であった。更にジープのパレードを鑑賞する為にButlerの街に集まった人々は2万人を超えた。今年は昨年よりも1000台多い、2937台のジープが参加登録。参加者は38のアメリカの州とカナダから集まった。その他にもスポンサーやベンダー達のジープ。そして駐車場には1000台のジープがひしめいた。2420台のジープがButlerのダウンタウンをパレードした。今後、ギネスブック(ギネス ワールド レコード)より正式に世界記録の承認を得られる事になる。

 

上記は、BJHF オフィシャルサイトより、

パレードの写真

 

ところで、BANTAM JEEP って何?

 

 圧倒的なイベントである。ジープがアメリカ人からこれほど支えられているという事実は他の車種のイベントやクラッシックカーのイベントと比べても遥かに勝るものである。このイベントに集うジープには大方何らかの手が加えられている。ジープの魅力の一つは他にない自分だけのジープを製作する魅力であろう。そして、それを他人に観てもらう機会。そういう環境が参加者を魅了するのだ。ジープはアメリカ人が誇りを持って乗るクルマである。アメリカの文化そのものである。アメリカ人は自ら誇れる物が欲しかったのだ、ジープはそれに応えた一つの象徴。ジープが元気になってきたという事は、アメリカ人が自信を取り戻してきているんだと思う。

 

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BANTAM JEEP

2013年11月19日 | PICKUP TRUCKS & 4X4

 アメリカ東部の広大な森林地帯であるペンシルバニア州。この州の西側に1万4千人程の Butler という小さな街がある。この小さな街はアメリカのジープの歴史を語る時には外す事が出来ないジープ史の街なのである。最近、このバトラーという街はアメリカのジープ乗り達から更に注目されるようになってきた。

 

 

 その理由は今年3回目を数え大成功を収めたたジープイベントBANTAM JEEP HERITAGE FESTIVAL の運気と共にあるからである。

 3回目の今年は6月14日から16日までの3日間、登録されたジープの参加だけでも全米31州とカナダから1557台、訪れた人の数は不明だが写真から見ると毎年ユタ州モアブで開催されている EASTER JEEP SAFARI よりもはるかに人の動員数は多いと思われる。

 

 ところで、BANTAM JEEP というのは何?

以下、詳細はwiki の記述から、

1940年、アメリカ陸軍需品科はポーランド侵攻におけるキューベルワーゲンの活躍に注目し、同年7月に135社の自動車製造会社に大まかな設計要件を伝え、4輪駆動の小型偵察車開発計画に応札することを緊急要請した。しかし開発期間と要求スペックは厳しいものでゼネラルモーターズもフォード・モーターも応えられず、アメリカでは主流から外れた小排気量の小型車に関するオーダーでもあったため、オファーに応じたのは中・小型車メーカーのウィリス・オーバーランド社と、元来小型車メーカーで経営不振に喘いでおり、延命手段を必要としていたアメリカン・バンタム社のみ、しかもウィリスは開発時間と条件の厳しさから途中で入札を取りやめるという始末であった。

要求スペックには「地雷を踏んでタイヤ4本のうち2本を失った場合でも、スペアタイヤを含めた残り3本で100kmの走行が可能であること」「車載工具ですべての修理が可能であること」という条件が入っていたという。開発を委ねられたものの十分な設計能力を欠いたバンタムでは、社外の自動車設計者カール・K・プロブストを招聘、彼を中心に突貫作業で開発を開始した。プロブストは、軍の提示した条件から部分的に逸脱することも辞さず、頑丈で悪路に強い4輪駆動小型軍用車の促成設計を目指した。問題は車両重量で、軍の提示した当初のスペックは自重1,275ポンド(≒585kg)という、要求された走行性能や荷重を配慮すると絶対実現不能な値であった。プロブストはこれをあっさりと無視し、自重1トン弱(2000ポンド級)で現実的な車両開発を目論んだが、結果としては賢明であった。

シンプルなはしご型シャーシに、前後とも縦置きリーフ・スプリングで吊られたリジッド・アクスルを備える単純堅牢な構造とし、社外のエンジン専業メーカーであるコンチネンタル製の小型車用サイドバルブ水冷直列4気筒を搭載、簡易なオープンボディを架装した。この基本構成は以後の第二次世界大戦型ジープに踏襲されることになる。エンジンに限らず、小型車用の汎用部品を多用して開発期間短縮が図られた。

 

バンタム最初の試作車はわずか2か月足らずの期間で9月21日に完成、9月23日の納入期限最終日に自走でメリーランド州ボルチモアの陸軍補給基地へ到着、納入された。その後1か月に及ぶ過酷なトライアルによって、基本性能の高さが確認された。

これによって増加試作車の生産が計画されたが、弱小企業であるバンタム社の生産能力を危惧した陸軍は設計図をウィリス・オーバーランド社とフォード・モーター社にも公開し、改良を命じた。2次試作車はバンタム、ウィリス、フォードの競作となった。バンタム社は自社プロト車の改良型を、また、ウィリスは「クァッド」(QUAD)、フォードは「ピグミー」(Pygmy)と称するプロトタイプをそれぞれ11月中に開発、提示。各車ともバンタムの原型に近似していたが、重量超過問題はウィリスもフォードも解決しようがなく、結局は軍が自重制限を2,160ポンド(≒981kg)に大幅緩和して、強度確保を重視した設計に転換できることになった。

3社はそれぞれ1,500台の増加試作車を発注され、バンダム社は40BRC、ウィリス社はウィリスMA、フォード社もフォード・GPと呼ばれるプロトタイプを緊急生産した。なお、従前はフェンダー上に配置されていたヘッドライトをボンネット内にグリルと共に配置した機能的デザインはフォードGPが起源で、以後のジープの独特な容貌を形成する端緒となった。1941年上半期に3社合わせて数千台規模の4輪駆動試作車がヨーロッパ戦線やロシア戦線で実戦投入され、詳細に評価された。7月、3社の試作車中でもっとも強力で性能が優れていると評価されたウィリスMAがトライアルの勝者となり、これに改良を加えたMBが正式採用される。フロントノーズのデザインはフォードGPの流儀が取り入れられた。

1942年から同一仕様のウイリスMB、フォード・GPWの生産が始まる。フォードは絶大な大量生産能力を買われてウィリスと完全互換・同一仕様での製造を委託されたものである。ただし全ての部品に社名の頭文字であるFの字が見られる、1942年型(スクリプトフォード)には車体後部に大きく社名がプレスされている、シャーシのクロスメンバーがMBより一本少ない、最前部クロスメンバーの作りが異なるなど、互換性を残す範囲での独自設計となっていた。バンタムは企業規模が小さいため、ジープ生産からは外され、より生産量の少ない大型の軍用車生産を割り当てられた(戦後、同社は倒産した)

以後、第二次世界大戦終戦までに膨大な台数のMB・GPWが生産されることになる。

 

アメリカンバンダム社という規模の小さな自動車会社が、

Butlerという街に存在していた。

 

WWⅡ時、アメリカ陸軍需品科の呼びかけに応えたのはバンダム社のみであった。

 

1940年9月21日完成、

一番最初のジープの試作車がバンダム社によって納品された。

ブロブスト氏がジープの基本構造を設計。

 

その設計図が基となって、2回目の試作が行われた。

2試作車はバンダム、ウイルス、フォードの競作となった。

3車はそれぞれ、バンダム40BRC、ウイルスMA、フォードGP の名で生産した。

 

結果、採用されたのはウイルスMP とフォードGPW であった。

 

バンタムというのは、

一番最初にアメリカでジープを手掛けた会社なのである。

 

そしてこのバンダムを元にAK10が生まれたとwikiの記述にはある。

同年中に日本陸軍がフィリピン作戦にてバンタムMk II(BRC-60)を鹵獲、内地に持ち帰る。これをコピーするようトヨタ自動車に命じ、1944年8月にトヨタ呼称AK10型として試作車5台が出揃い御殿場で試験された。その結果、陸軍・四式小型貨物車として制式採用されるが極度の資材欠乏と労働力低下から生産が間に合わずジープのような活躍の記録はない。

戦時中、トヨタによって少数が生産された日本陸軍四式小型貨物車こと「AK10型」四輪駆動車は、フィリピンで鹵獲された通称「バンタム・ジープ」をコピーして設計された。その際軍部から、敵方との識別のため「外観はジープに似せない事」とする旨の指示があった。機能がそのまま外観に表れるジープでは、それは容易なことではなかったが、生産型は資材の窮乏も伴い、木材なども用いた簡易な外装に一つ目ライトと言う、いわゆる「戦時型」となり、結果的にまったく別物の外観となった。

「AK10型」はフロントにリーディング・アーム+リジッドアクスルのサスペンションを持ち、AE型乗用車のC型エンジン(初代 4気筒 2585cc)と3速T/M、2速T/Fを組み合わせていることからも判るとおり、BJ型以降のランクルとの直接のつながりは無い。

また、トヨタは、KYC型トラックとそれをベースとした水陸両用トラックの陸軍「スキ」(1943年から198台生産)でも4輪駆動(総輪駆動)車を手がけた経験があり、AK10型とは異なり、トラックであるこれらの構成はBJ型に通ずるものがあるかし、このAK10とランドクルーザーの設計面での繋がりは否定されている。

 

ところで当時、アメリカの陸軍需品科がなぜ、

ジープを開発を始めようとしたのか?

 

それは、ヨーロッパのキューベルワーゲンの存在に脅威を感じたからだ。

 

では、

キューベルワーゲンが無ければジープも生まれなかった?

 

誰がキューベールワーゲンを生み出したのか?

それは、あの

 

 

フェルディナント ポルシェ

ポルシェ設計事務所である。

 

しかし、

RRのワーゲンとFRのジープは使用目的は同じでも車の構造は異なっている。

 

よって、

現在のジープの起源はやはりバンタムであると言える。

 

戦後のジープブランドは複雑な経路をたどって今日に至っている。

ジープという名称を理解するには、

終戦の前と後で整理するのが良いかもしれない。

第二次世界大戦後、ウィリス・オーバーランド(Willys)社が商標を所有していたがウィリス・オーバーランド社を1953年にカイザー(Kaiser)が買収し、社名をウィリス・モーターズ・インコーポレーテッドとして子会社化。1963年にはカイザー自体が社名を「カイザー=ジープ・コーポレーション」とした。カイザー=ジープ社は1970年にはアメリカン・モーター(AMC)に買収される。AMCは1980年にはルノー傘下に入り1987年にはAMCがクライスラー社に吸収され、クライスラー社も1998年にダイムラー・ベンツと合併しダイムラー・クライスラーとなった。2007年にダイムラー・クライスラーはクライスラー部門を米投資会社サーベラス・キャピタル・マネジメントに売却、現在はクライスラー(Chrysler LLC)の一部門・ブランドである。

 

Butler は、

JEEP HERITAGE を語るに相応しい場所。

 

Butler そこは、ジープ発祥の地。

 

今後もジープのメモリアル(巡礼地)として、

多くの人(巡礼者)を惹き付けるであろう。

 

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