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" AS SLOW AS POSSIBLE AND AS FIRST AS NECESSARY "

チューリップ

2015年02月15日 | 日記

 昨夜は仕事が終わった遅い夜に近くのスーパーマーケットに寄った。毎朝飲むコーヒー豆が切れてから3日が過ぎて、明日の休日の朝をゆっくり且つ充実した時間を過ごすためには早朝の朝の一杯のコーヒーは不可欠だと考えていたからだ。そしてもう一つ探し物があった。本日(2月14日)はバレンタインディだという事。昨年はバレンタインの夜に手ぶらで帰宅したら(実はうっかりVTと言う事を忘れていたのだ)愛妻が怒ったり拗ねたりはしないが、何か期待していた様子で物足りなさを感じていた様子だった記憶が鮮明に残っていたので、今年は薔薇の花でも買って帰ろうと決めていたのだ。

 日中の活気がほぼ過ぎ去った後のスーパーマーケットの花コーナーは静かではあった。店の方も世の男共の要望に応えようと花束を普段より多めに揃えている事が分かる。足を止めて形の良い1ダズン(12本)の赤い薔薇の花束を選んで持ち上げてみた。機械的に包装されているのはまあ仕方がないとしても、花に鼻を近づけても匂い(香り)が薄い。脳の真ん中辺りでツーンと感じる薔薇の刺激的な甘い香りが弱い。それだけの理由で薔薇を買う気が失せてしまった。おそらく長期間冷蔵庫に入れられてこの日の為に保管されていたのかな、などと思ったりもした。

 

 

 薔薇を諦めて、選んだのは鉢植えのチューリップ。なぜかこのチューリップだけが数多くある花の中で唯一光っていたので迷わずこれにパッと決めた。おかげで昨晩は平穏に過ごす事が出来た。花を買って驚かせようとする気持などは全く無かったのだが、昨年の事もあり期待していなかっただけに喜んでくれた。(汗) 花っていうのは不思議なものだ、送る人の気持が伝わるからだ。逆に言えばそれは怖い事でもあるのだが...。

 今朝はこの甘くせつないチューリップを眺めながらコーヒーのお伴としている。花を眺めているとそれは特に女性の美しさとも重なる様な気になる。おそらく花はそれを取り巻く人の心に色々と語りかける対象でもある様だ。酷寒のこの季節に一足早い春の小さな象徴が部屋にあると心も憂鬱感から開放される。バレンタインディに贈ったこのチューリップは結果、豊かな気持をもたらしてくれた。これからも妻は変えない。でも、花は変えていこうと思っている。

 


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