ロクマルでいこう、60でGo!

" AS SLOW AS POSSIBLE AND AS FIRST AS NECESSARY "

CUBA

2015年02月08日 | 日記

 寒い毎日が続くこの時期には暖かい南国の話題がいい。フロリダ半島のマイアミ周辺のショッピングモールのコーナーにはクーバンカフェと呼ばれるエクスプレッソコーヒーを提供してくれる小さな店先が沢山点在する。そこは駐車場や歩道に面したアウトドアーでのバーのカウンターの様な形で数個の腰掛用の丸椅子が置いてある所もあるが、基本的には立ち飲みである。仕事や買い物の合間に足を止めてその場でおしゃべりしたり一服する社交場でもある。クーバ(キューバ)は良質な砂糖を生産する国であるので、コーヒーにはブラウンシュガーを最大に入れる。濃いコーヒーに濃厚な甘さが刺激になる。そこで提供されるコーヒーは安く(90年台当時は25セント、約30円)てインパクトがあり、一口でほうばれる程の量しかないがその味は口の中で長く残るのだ。クーバのコーヒーを飲みたいなあ、などと最近ある仕事先で隣に座っているクーバ系アメリカ人と何時も話をする。

 

 

 昔誰かが言っていたが、元巨人の長島監督はクーバの野球が好きだと。その理由は彼らはバントをしないからだ。ピッチャーが思い切り投げたボールは思い切り打ち返す、それが気持いい。点数による勝ち負けは後の結果の話である。これがクーバという国の人々の気質なのである。

 クーバの近代の歴史というのは複雑だ。嘗てアメリカと友好関係を築いていた頃はクーバはアメリカの企業とマフィアに牛耳られたアメリカの植民地でもあった。そこでクーバの未来を憂いて立ち上がったのがフィデルカストロのクーバ革命。アメリカでは悪者にされるカストロの動機は国民の主権を回帰するものであった事から、クーバの社会主義を嫌ってアメリカに亡命した人々でさえカストロを悪く言う人は少ない。当時の時代的背景から考えてみてもアメリカに反する姿勢を見せたならソビエト連邦が肩を叩いて支援してくれるという構造は時代の流れであったと思う。近年クーバはアメリカとの国交を開始する為の歩みよりの姿勢を見せているが、昨年はプーチンが首都ハバナを訪問して過去の借金の多くを(90%)チャラにしてくれたりしてと、アメリカとロシアの狭間で生存する為に苦悶している。

 そういった国の事情を聞いて、それは他人事ではないと感じた。何かの理想を持って生きていても生活の為に時には意向と異なる仕事さえやらなければならない、またそれを継続しけなければならない事情などが個人レベルにはある。人が生きて生活する事の選択はそれ程多くはないのである。一国の国の事情も一人の人間が生きていく環境もよく似たようなものだ。つまりそこには理想と現実などの曖昧さというものがある。そしてその曖昧さは悪いものでは決してないと言う事。世界にある国々は曖昧さの中で泳いでいるようなものだ。それは寒流と暖流、高気圧や低気圧の巡回の中で生命が生きている様にだ。そして国や個人がそういう曖昧な立場の継続だと言う事が分かると(そんなものだと)クーバの人々やラテン民族の様に明るく生きていく事が出来るのではないかと考えている。

 クーバ人は親日派が多いとは聞くが、それにしても隣席のクーバ人は恐ろしい程の親日だ。彼らは日本、日本人の何処に魅力を感じるのだろうか? 隣席のクーバ人は日本人の仕事ぶりだと言った。日本の文化や食事、アニメなどではない。彼らは敗戦国の日本が復興してきた流れを祖国の未来と重ねている様にも感じている。

 上の写真はランドクルーザーのパッセンジャーシートに座る若き日のフィデルカストロ。彼はランドクルーザーに揺られながら何を考えたり、思ったりしたのであろうか? カストロ.クーバが今日親日なのはランドクルーザーに乗って革命の指揮を執ったからだ。と、思ってしまうのは僕の妄想なのだろうか?

 

コメント
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