海外記者にどう映る 塩村都議、ヤジ問題で会見(朝日新聞) - goo ニュース
東京都議会において、女性議員に対して”早く結婚したほうがよい”とするヤジが飛んだ事件は、被害を訴えた女性議員が日本外国人特派員協会において会見を開いたことから、海外メディアからも、このヤジを飛ばした男性議員に対しまして、手厳しい批判が寄せられる展開となりました。議会とは、政策を論じる場ですので、ヤジの慣習そのものは止めるべきですが、この問題は、しばし性差について考えさせられる問題を含んでいます。
性差に関する考え方には、男性にも、女性にも、大別すると3つの違ったタイプが存在しています。男性側では、この3つのタイプは、「A.女性は男性あっての存在であり、女性の立場は男性が決めるべき」、「B.男女には生物学的な差はあり、ある程度の役割分担はあるが、性差が問題とならない分野では同一の基準で評価すべき」、「C.男女間の性差は一切存在してはならず、全てを平等にすべき(この考え方は、かなり少数派では?)」、に分かれます。女性の側でも、3つのタイプは、BとCでは同様ですが、Aではいささか違っています。Aに対応する女性側の考え方は、「A’.女性の立場は男性によって左右されるのだから、女性は、男性を利用すべき」というものです(このタイプでは、男性側が被害者となる場合が少なくない…)。ヤジを飛ばした男性議員が厳しい批判を受けたのも、周囲から男性側のAの男尊女卑的な発言と見なされたためなのですが(本当のところは分からない…)、それでは、女性側はどうかと申しますと、この女性議員もまた、A’の生き方をしてきたようなのです。ネット上では、同女性議員が、数多くの男性から慰謝料を採った過去を自慢している姿がアップされており、また、都議会選挙への立候補もみんなの党の男性の後押しがあってのことなそうですので、男性利用型の女性であると推測することができます。男女平等とは、BあるいはCを意味するのですから、A’がAを批判する構図は、どこかピントが外れているように思えるのです。そして、このことは、Aの男性が多い中で、女性の優遇や幹部への登用を推進しますと、実力に欠けていても男性に媚びることでポジションを得ることを狙うA’の男性利用型の女性に有利となり、BあるいはCである一般の女性たちにとりましては、逆に、不利益を被る可能性が高いということを示唆しています。
男性側の女性蔑視を糾弾する人々は、女性の側にもA’が存在することを忘れています。そしてA’の存在は、日本国に限ったものではなく、『アンネの日記』にも記されているように、古今東西を問わずに普遍的に見られる現象でもあり、A’の生き方には、眉を顰める女性も少なくないのです。このように考えますと、都議会ヤジ事件は、真の男女の平等とは何かを考える貴重な機会となるかもしれません。
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東京都議会において、女性議員に対して”早く結婚したほうがよい”とするヤジが飛んだ事件は、被害を訴えた女性議員が日本外国人特派員協会において会見を開いたことから、海外メディアからも、このヤジを飛ばした男性議員に対しまして、手厳しい批判が寄せられる展開となりました。議会とは、政策を論じる場ですので、ヤジの慣習そのものは止めるべきですが、この問題は、しばし性差について考えさせられる問題を含んでいます。
性差に関する考え方には、男性にも、女性にも、大別すると3つの違ったタイプが存在しています。男性側では、この3つのタイプは、「A.女性は男性あっての存在であり、女性の立場は男性が決めるべき」、「B.男女には生物学的な差はあり、ある程度の役割分担はあるが、性差が問題とならない分野では同一の基準で評価すべき」、「C.男女間の性差は一切存在してはならず、全てを平等にすべき(この考え方は、かなり少数派では?)」、に分かれます。女性の側でも、3つのタイプは、BとCでは同様ですが、Aではいささか違っています。Aに対応する女性側の考え方は、「A’.女性の立場は男性によって左右されるのだから、女性は、男性を利用すべき」というものです(このタイプでは、男性側が被害者となる場合が少なくない…)。ヤジを飛ばした男性議員が厳しい批判を受けたのも、周囲から男性側のAの男尊女卑的な発言と見なされたためなのですが(本当のところは分からない…)、それでは、女性側はどうかと申しますと、この女性議員もまた、A’の生き方をしてきたようなのです。ネット上では、同女性議員が、数多くの男性から慰謝料を採った過去を自慢している姿がアップされており、また、都議会選挙への立候補もみんなの党の男性の後押しがあってのことなそうですので、男性利用型の女性であると推測することができます。男女平等とは、BあるいはCを意味するのですから、A’がAを批判する構図は、どこかピントが外れているように思えるのです。そして、このことは、Aの男性が多い中で、女性の優遇や幹部への登用を推進しますと、実力に欠けていても男性に媚びることでポジションを得ることを狙うA’の男性利用型の女性に有利となり、BあるいはCである一般の女性たちにとりましては、逆に、不利益を被る可能性が高いということを示唆しています。
男性側の女性蔑視を糾弾する人々は、女性の側にもA’が存在することを忘れています。そしてA’の存在は、日本国に限ったものではなく、『アンネの日記』にも記されているように、古今東西を問わずに普遍的に見られる現象でもあり、A’の生き方には、眉を顰める女性も少なくないのです。このように考えますと、都議会ヤジ事件は、真の男女の平等とは何かを考える貴重な機会となるかもしれません。
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