海外展開に挑む町工場の気概:片山 修(ジャーナリスト)(Voice) - goo ニュース
昨日に続いて、本日も、産業の空洞化容認論に対する疑問を提起してみることにします。本日は、サービス業の失業吸収力を問題としたいと思います。
超円高を始めとした”6重苦”に苦しむ日本企業は、海外への製造拠点を移す動きが止まりそうにありません。特に問題となるのは、(1)国内の工場を閉鎖して国内の人員を解雇し、現地雇用を前提に新たな工場を海外に建設する場合と、(2)海外の安価な輸入製品に押されて、国内企業が倒産する場合です。これらのケースでは、確実に失業者が増加します。しかも、製造業の場合には、関連の部品メーカにまで、倒産や失業が連鎖的に及ぶ可能性が高くなります。産業空洞化容認論の論理では、(2)を避けるために、(1)を選択し、(1)で生じた失業は、サービス業で吸収すればよいとするものです。失業吸収産業としては、介護や医療などの社会保障関連の職種が候補として挙げられていますが、例えば、1000人規模の工場が閉鎖となった場合、これらの人々が全員、介護や医療の職に転換できると考えるには無理があります。介護や医療には、訓練や資格の取得を要しますし、今後、数百万人規模で失業が発生するとなりますと、逆に、介護士の方が余ってしまいます。しかも、社会保障分野には、税金がつぎ込まれていますので、この分野の従事者が増えるほど、財政は逼迫してゆきます。製造業からの納税による歳入が減少する一方で、社会保障分野での歳出が増加するわけですから、我が国の財政状況は、早々に危機的な状況に直面します。
景気が後退し、所得が減少しますと、真っ先に影響を受けるのは、サービス業と言います。つまり、サービス業とは、充分な国民に可処分所得があってはじめて盛んになるのであり、今後、産業の空洞化による国民の所得水準の低下が予測されている中で、サービス業に高い失業吸収力を期待することはできないはずです。企業の海外展開そのものは否定すべきものではありませんが、国内においても、”6重苦”からの脱却を目指すとともに、苦境にあっても収益を挙げることができる強い産業を育てるべきではないかと思うのです。
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景気が後退し、所得が減少しますと、真っ先に影響を受けるのは、サービス業と言います。つまり、サービス業とは、充分な国民に可処分所得があってはじめて盛んになるのであり、今後、産業の空洞化による国民の所得水準の低下が予測されている中で、サービス業に高い失業吸収力を期待することはできないはずです。企業の海外展開そのものは否定すべきものではありませんが、国内においても、”6重苦”からの脱却を目指すとともに、苦境にあっても収益を挙げることができる強い産業を育てるべきではないかと思うのです。
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