万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

産業空洞化容認論―甘い見通し

2011年11月20日 15時41分52秒 | 日本経済
海外展開に挑む町工場の気概:片山 修(ジャーナリスト)(Voice) - goo ニュース
 最近、超円高が長期化しそうな気配を受けてか、産業空洞化を容認し、企業は、積極的に海外展開すべきという意見をよく耳にするようになりました。企業が海外で稼いだ収益を日本国内に還流させればよい、と・・・。しかしながら、この容認論、見通しが甘いと思うのです。

 日本よりも一足早くに産業空洞化が起きたアメリカでは、中間層の崩壊と失業率の高止まりに苦しんでいます。欧州もまた、域外への製造拠点の移転による雇用の喪失が、財政問題の一因ともなっており、産業の空洞化の先例を見れば、悲観せざるを得なくなるのです。しかも、容認論では、企業は、収益を日本国内に還元させるものと想定していますが、企業が、このように行動するとは限りません。海外の工場で低賃金労働をさせて、収益の大部分を日本国に吸い上げる形となっては、どこか”搾取”のニュアンスがあり、倫理的にも問題がありますし、企業としても、もし、日本国内に魅力的な投資先がなければ、当然に、現地、あるいは、より投資収益率の高い新興国に投資を拡大させるはずです。結局、産業の空洞化だけが加速し、国民の生活水準の低下と深刻な失業問題に直面することになるかもしれません。

 しばしば、”新興国の成長を取り込むことで自国も経済発展を”という掛け声は聞こえるのですが、新興国の成長と先進国の衰退がトレード・オフになっては、賢明な道とは言えません。先進国自らが新たな成長産業を生み出し、経済の牽引役とならない限り、共存共栄の状態は難しいのです。この意味において、先進国の方が、むしろ危機の渕にあると思うのです。

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