斎藤喜博写真集から
斎藤喜博は、著書「教育学のすすめ」の中で次のように記している。〈すぐれた個性的な授業によってだけ、生き生きとした授業はつくられ、生き生した子どもはつくられていくのである。のっぺらとした平均的な一般的な子どもとか学級とかでなく、それぞれの可能性を豊かに引き出された、自分の顔を持った、子どもとか学級とか学級全体とかがつくられていくのである。〉
このような子どもたちや学級は、私がかつて見た斎藤喜博の流れを汲む教育でしか知らない。
「個性的」とか「のっぺら」とか「平均的」とか「自分の顔を持った」とかは今の学校での授業づくりや学級づくりでは語られないものである。語られないと言うよりも、こんなことを思いもしないであろう。
今の教育は、教えること、学ぶことが多くて、子どもを真に人間として変えていくことができないといってよいであろう。
私たちはこのようなことに気づかなければならない。そしてほんとうによい授業とはどういうものか、教育とはどういうものかを考え、実践していかなければならないと強く思う。
※学級づくり、授業づくりに協力します。お声を掛けてください。研修での講話や体験型研修をボランティアで行います。ホームページ「浜松授業研究の会」のお問合せ、ご連絡に記入してください。または、このブログのコメントに記入していただいても結構です。
斎藤喜博は、著書「教育学のすすめ」の中で次のように記している。〈すぐれた個性的な授業によってだけ、生き生きとした授業はつくられ、生き生した子どもはつくられていくのである。のっぺらとした平均的な一般的な子どもとか学級とかでなく、それぞれの可能性を豊かに引き出された、自分の顔を持った、子どもとか学級とか学級全体とかがつくられていくのである。〉
このような子どもたちや学級は、私がかつて見た斎藤喜博の流れを汲む教育でしか知らない。
「個性的」とか「のっぺら」とか「平均的」とか「自分の顔を持った」とかは今の学校での授業づくりや学級づくりでは語られないものである。語られないと言うよりも、こんなことを思いもしないであろう。
今の教育は、教えること、学ぶことが多くて、子どもを真に人間として変えていくことができないといってよいであろう。
私たちはこのようなことに気づかなければならない。そしてほんとうによい授業とはどういうものか、教育とはどういうものかを考え、実践していかなければならないと強く思う。
※学級づくり、授業づくりに協力します。お声を掛けてください。研修での講話や体験型研修をボランティアで行います。ホームページ「浜松授業研究の会」のお問合せ、ご連絡に記入してください。または、このブログのコメントに記入していただいても結構です。
すなわち私は人生を諦めるしかなくなったようです。でも、さらに、よいよいになって認知症が発生しても、思いを残すことがないように、集大成の本を友人と出そうと作成し始めました。どうせ売れないので自己満足だけですのでご安心を。(笑)
薄くないと誰も読んでくれない時代です。逆に苦労しています。絵を増やし、キャプションを増やし、かつ100ページそこそこで仕上げるように編集者にお願いしました。プレゼン資料なら10ページそこそこで済む内容でしょうが。本ですので大変です。
本を出版できたら、宣伝を兼ね、またブログを書き始めようと思っています。今のところ秋口から始めたいと思っています。でも売れそうもない本ですので、編集者はゆっくり後回しでやっています。年末ごろになるかもとも考えています。
本来、小学生や学童に教えるべき内容のように考えています。でも、本は大学生向けで発刊します。今の日本人のレベルを考えた結果です。
もし管理人様が許してくれるなら、一度話をしにお伺いさせてください。先生向けには教材として使えるはずです。
当然ながら、主題の本とは比べられない鼈レベルの本です。でも特徴は、情報と国際化と職業を統合し書いているつもりです。
管理人様お一人だけに、面会時間2時間ほど、お互いにロハでお時間を頂きたい。管理人様の昼食時間に新幹線の最寄り駅の喫茶店に伺いしたいと思っています。
許してもらえそうなら、今から節制し、体調を整え準備したいと思っています。最大のネックは私の坐骨神経痛ですから。(笑)
勝手な申し出ですみません。