経験を積んだ教師でも、どんどん教育実践をしてるようには思われません。初任の教師の模範になるような、よい授業をしている教師はそんなにたくさんはいません。どうも授業のよしあしは教職歴にはあまり関係ないようです。その原因は、いくつかあります。
①現場が忙しいこと
②教師が勉強しないこと
③文科省や教育委員会の指示だけに従っていること
④努力しなくても給与と身分が保障されていること
などだと思います。
これらのなかで「忙しさ」に焦点をあてて考えてみます。現場の教師が「忙しくて、忙しくて、落ち着いて授業もできない」と言われることを耳にします。しかし、それが事実ならば、大部分の教師が実践と言えるほどの授業をしていないということになります。そうなると子どもは不幸です。
もちろん、学校は忙しいです。しかし忙しくない労働なんてほんとうにつまらないと思います。考えてみればわかるはずです。手持無沙汰はなんともやりきれません。
問題は忙しいの内容だと思います。
教師が授業に真に打ち込み、教科書の赤本や指導書だけで授業をするのでなく、自分で教材を研究したり、資料を集めたり、授業展開を考えたりするならば、ひまななんて言っておれません。ですから、どうしても他の忙しさを克服するしかないのです。
忙しさの克服は、教師一人では限度があります。学校全体で考えなければなりません。教師は誰も「授業で勝負」とよく言われます。そのためには、教師の仕事に本質的でないものを厳しく吟味し、排除するしかありません。それをするのは、その学校の職員です。とりわけ学校の経営者である校長です。その勇断、果断が待たれます。
※学校・学級づくり、授業づくりに協力します。お声を掛けてください。研修での講話や体験型研修をボランティアで行います。ホームページ「浜松授業研究の会」のお問合せ、ご連絡に記入してください。または、このブログのコメントに記入していただいても結構です。
解決策を分解すると、今は教員が頑張って残業している。要するに人海戦術で対応しているのです。
人海戦術は203高地の戦場でも、ノモンハンでも、インパールでもありました。要するに上に立つ安が無能なのです。
今はロボットの時代。無駄な仕事はロボットにさせる。そのために校長は英断する。簡単にできますよ。
でも今も校長はほとんどどこも無能。だから小学校から情報処理を教えるのでしょう。正しい方針だと私は思います。
でも持ちますかね。持ちませんね。アホな教師と校長ばかりです。簡単にできることが分からない。まあこれもコロンブスの卵です。