日常性においては、われわれはふつうことばの本来の意味で「考える」ということをしない。
「思考」とか「判断」とかいっても、既成概念や一定の反応形式(つまり習慣)に依存して行動
しているのである。これが破られて、はじめて本来の思考が起こる。それにはわれわれがある
「事件」に遭遇し、あるいは「危機」に追い込まれることが必要である。そうした非日常的場面
においてのみわれわれはふだんことばの表面しか接していなかった物事や世界と、リアルに対
面することになる。
これは決して、いわゆる「問題解決学習」を採用せよということではない。そうでなくては、
通常はあたまえあるいは、自明とされているようなこと、あるいはそんな意識にさえのぼらない
ようなことのなかに最も本質的な課題のひそんでいることを学習過程の要所要所で発見していく
ことを指すのである。
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