節分は、季節が分かれると書きます。ですから、冬から春になるこれが節分です。2月3日が節分ですから、2月4日から春になると言うことです。これを立春といいます。
節分の行事では、豆をまきます。熱い豆を鬼にぶつけて追い払います。「鬼は外、福は内」と言いながら豆をまきます。
ところで、どこでも「鬼は外、福は内」と掛け声をかけるところばかりではありません。
千葉県にある成田山という神社では、福は内は言うが、鬼は外はいいません。なぜか、そこの神様は、すべてのもの、どんなものも大切にしているからです。鬼でさえも大事にしているからです。
また、東京にある鬼子母神という神社は、「鬼は内、福は内」といいます。鬼を祭ってある神社ですから鬼を追い払うわけにはいきません。
奈良県の蔵王堂という神社も、「鬼は内、福は内」と言います。いろんなところで追い出された悪い鬼を集めて、お説教をして、心を変えてやろう、改心させてやろうというためです。
場所によっていろいろあるのですね。
さて、いままでのは、まじめな話ですが、最後は駄洒落問題です。楽しく終わります。
問題を出します。節分に「鬼は外を言わないで、福は内、福は内」とばかり、かけ声を掛けるところがあります。さて、どこでしょう。
答え 洋服屋さんです。「福(服)は内、福(服)は内」ですね。
そんなことで、大事な一日がくれていく。
思うに、これだけ情報社会になってくると、学校を開かなければならない・・・そんな強迫観念がある。
逆に、これだけ情報社会になると、危機管理や情報管理が必要になる。
学校を自己評価し、外部に評価してもらい、公開し....
PDCAサイクルを示し、グランドデザインを...
管理職の仕事が、マネジメントや経営と言う言葉で語られる。
それは当然だろう。しかし、管理職は教師を管理するだけでなく、指導することがもっとも大事なのではないだろうか。
子どもの教育はどうあるべきか。授業はどうあるべきかと...
危機管理だけでは、後手後手になるように思う。
私は初任者指導をして3年になりますが、初任者研修の提出物もとても多いのです。まずは、初任者が「子どもが好き」「授業が面白い」「学校の仕事が楽しい」そのようにしたいですね。それが、エネルギーとなって、きびしい仕事にも耐えていくようになるのです。なのに様々な提出物のアラシでは、そんな気持ちにもなりませんものね。
私は校長の時は、職員にも恵まれて、まず、子ども第一主義で、授業第一主義でやることができました。ここさえ間違っていなければ、怖いものはありません。対外的にもこれで多くは戦っていくことはできるのですし、一番精神的にも安心できるものです。ここのところをきちんとやらないと、形をつくるために、多くの意義の薄い、子どもから離れた(言い過ぎかな)仕事をしなければなりません。これは本来の仕事ではありませんね。