現在の御所の西側一帯が西陣織の中心地のようだ。この辺りの裏道は小さめの車が一台通るだけで一杯の幅しかないのだが、どうやら相当に歴史のある道らしいという事がおぼろげに感じられてくる。
冨田屋さんは大宮通というそれでも少しだけ他より太いかな、と思われる路地に面している。明治以来、西陣織の問屋として栄えた町家だ。
家に向かって左側は通り庭。右手の店の奥に見事な坪庭がみえる。残念ながら、ガラス戸を開けていただく事は出来なかったので、あやしい影が映り込んでいる。
居間ではこの家に伝わる雛人形が展示されていた。行事は旧暦で行われるので、四月三日まではお雛様が床の間を飾る。なお、この家では向かって左側にお雛様、右側に内裏様を飾る。明治以降に、近世の西欧世界の左右のヒエラルキーが持ち込まれる以前の展示方法である。
今の奥の坪庭。こちらは井戸もあり、緑が豊か。
これだけの限られた空間なのだが、独特な神様を祭ったり、意味が濃厚に漂うような庭である。
奥の坪庭。当主一家以外は滅多に人の目に触れることがなかった場所のようだ。
邸内の茶室「楽壽」のにじり口。
この茶室や奥座敷を舞台として、非常に限られた人のみを対象とした町家独特な文化が展開していたらしい。
冨田屋さんは大宮通というそれでも少しだけ他より太いかな、と思われる路地に面している。明治以来、西陣織の問屋として栄えた町家だ。
家に向かって左側は通り庭。右手の店の奥に見事な坪庭がみえる。残念ながら、ガラス戸を開けていただく事は出来なかったので、あやしい影が映り込んでいる。
居間ではこの家に伝わる雛人形が展示されていた。行事は旧暦で行われるので、四月三日まではお雛様が床の間を飾る。なお、この家では向かって左側にお雛様、右側に内裏様を飾る。明治以降に、近世の西欧世界の左右のヒエラルキーが持ち込まれる以前の展示方法である。
今の奥の坪庭。こちらは井戸もあり、緑が豊か。
これだけの限られた空間なのだが、独特な神様を祭ったり、意味が濃厚に漂うような庭である。
奥の坪庭。当主一家以外は滅多に人の目に触れることがなかった場所のようだ。
邸内の茶室「楽壽」のにじり口。
この茶室や奥座敷を舞台として、非常に限られた人のみを対象とした町家独特な文化が展開していたらしい。
坪庭にも、興味あります。
率直にお答えしますと、自由見学はありません。
なにしろ未だに一部を住居として使われている家なので、説明付きコースでないと見学できません。
ただ、見学コースは着物に憧れを持った若い女性を想定しておられる感じですが、電話で「おじさん一人参加ですが」と聞いたら快諾を得ました。
ただ、コースとなりますとちょっと写真が取りにくくなります。
追加です。
写真写りはよくないですが、こちらの坪庭は素晴らしいです。
ただし、非公開のさらなる庭が多数存在するようです。
釈迦に念仏です。