平日の早朝に起きだして京都を目指す。なんとか有名な庭園を静寂の内にめぐれないかと期待して。結果は見事に裏切られた。
前泊している小中学生の先回りが出来るわけがない。この城は家康によって建てられたのだが、その家康が肝をつぶすような喧騒に見舞われていた。
しかし、この庭はそう簡単に手の内を明かすような存在ではないようだ。現在、立ち入れる範囲からの視点では、亀島、蓬莱島にかかる石橋が重層的な奥行きを感じさせ、滝とともに庭の北西部がハイライトと感じられる。
しかし、庭の南東部にもそれに劣らない石橋が見られる。かつて、この橋のさらに南には御幸御殿や中宮御殿という建物があり、そこからの視点を強く意識した庭の構成になっているという説もある。
確かに、石橋の周辺には独立した、それなりに力の入った石組が続く。
おそらく、このような中間的なエリアがこの庭を一つのもの意識させるのに役立っているのであろう。
背後に見えるのは御幸御殿から延びていた釣殿の土台のようだ。
この朝も、一瞬だが静寂の瞬間を体験することができた。
前泊している小中学生の先回りが出来るわけがない。この城は家康によって建てられたのだが、その家康が肝をつぶすような喧騒に見舞われていた。
しかし、この庭はそう簡単に手の内を明かすような存在ではないようだ。現在、立ち入れる範囲からの視点では、亀島、蓬莱島にかかる石橋が重層的な奥行きを感じさせ、滝とともに庭の北西部がハイライトと感じられる。
しかし、庭の南東部にもそれに劣らない石橋が見られる。かつて、この橋のさらに南には御幸御殿や中宮御殿という建物があり、そこからの視点を強く意識した庭の構成になっているという説もある。
確かに、石橋の周辺には独立した、それなりに力の入った石組が続く。
おそらく、このような中間的なエリアがこの庭を一つのもの意識させるのに役立っているのであろう。
背後に見えるのは御幸御殿から延びていた釣殿の土台のようだ。
この朝も、一瞬だが静寂の瞬間を体験することができた。