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わが故郷の三江線廃線は仕方がないことなのか…。何を今更と言われそうやけど。

2018年04月01日 | 丸ちゃんの喜怒哀楽へなへなジャーナル
わが故郷の鉄道が廃線になった。昨日で営業を終えたJR三江線だ。営業距離は108・1㌔㍍、国鉄分割民営化後、本州のJR廃止路線としては最長距離となる。

振り返れば、高校時代の3年間毎日乗っていた。もちろん国鉄時代の話で、最寄りの駅は船佐駅。と言ってもその駅に行くまで家から10キロを自転車、そして後にバイクで通う必要があったが。約15分間乗って、終点は広島市と岡山県新見市を結ぶJR芸備線の三次駅。高校は三次駅からさらに15分ぐらい歩いた場所に今もある。

三次駅の一つ手前の尾関山公園駅辺りの三江線の鉄橋(出所:毎日新聞)

三江線は島根県の江津市と三次市を結ぶ路線で、山陽側と山陰側を隔てる中国山地を突き抜ける計画で、1930年にまず江津側の一部が開通したが、工事が戦争で中断、その後55年に三次駅〜式敷駅間が開通し営業が再開された。高校に通っていた時もまだ全線は開通していなくて、利用していた路線は三江線の南側部分だったので、三江南線と呼ばれており、全線開通したのは高校卒業直後だった。

当時、田舎の高校生が沿線の景色を楽しむなんてことはなかった。線路は単線でオレンジ色のわずか2輌のディーゼル車が、朝夕を中心に1日に数回行き来する程度だったが、江ノ川という大きな川が眼下を流れ、対岸には急峻な山々が連なるという景色で、今振り返れば、なかなかの絶景が車窓から眺められる路線だったわけだ。

出所:ブログ「車窓と旅情」より

この江ノ川だが、一般には川は山から海へと流れるが、この川は中国山地を突き抜け瀬戸内海側から日本海側に流れるという珍しい川だと当時教わった。この川の魅力については、カヌーイストの野田知佑さんが『日本の川を旅する』(新潮文庫)中に書かれている。

さて廃線というと、過疎化での利用者減、そして赤字経営へというのがパターン化されてる。この三江線もその例に漏れず、通学で利用していた当時はまだ2輌編成だったが、その後1輌編成になり、最近では1日の利用者が100人以下という日が常態化してたという報道もある。さらに急峻な流れの大きな川沿いに走っているので、水害が頻繁にあり、その復旧費にJR西日本が耐えられなくなったとも言われている。

しかし、全国で次々に廃線が増えているが、赤字だからもうやめるということでいいのだろうか?
ここからは関耕平氏の「住民と自治」2017年9月号の論文「三江線廃線と沿線地域のこれから 地域の持続可能性とローカル線の役割」を紹介しながら考えてみたい。

鉄道の廃止は、それまでその鉄道によって築かれてきたさまざまな集積機能、生活圏、文化などの崩壊にもつながり、地域の切り捨てそのものを意味する。三江線沿線地域は昨今、UターンやIターンなどで田園回帰の傾向が見られる典型地域だけに、なんとかならなかったのかと思う。

廃線について沿線自治体や利用者の声がどのように反映されたのだろうか。この点では、「2000年の鉄道事業法改正で、鉄道の廃止が許可制から届出制へと移行、沿線地域の死活問題ともいえる鉄道の存廃が、一民間企業(ここではJR西)の経営状況や意思決定で決められ、当事者である沿線自治体や住民が関与できないというシステムが成立してしまった」そうで、基本的にはもはやどうにもならないとの感がする。

第3セクター運営ということもあるが、それも地方自治体財政が地方交付税に多くを依存している下では、赤字補填に使えるようなお金はない。また、JRは地域住民に代替のバス運行を示したそうだが、休日には運行を止めるといったようなかなりいい加減な提案だった。

さらに都道府県の姿勢が大事だとも指摘されている。例えば三重県では、知事の断固たる姿勢で、災害で廃線を打ち出された名松線を長い時間をかけて復旧させ、廃線を中止させているが、島根県の姿勢は常に行司的立場にあって、その姿勢には沿線自治体から強い不満の声が上がったが、この県の姿勢が廃線への流れを強めたという。

今回の三江線廃止はこの数カ月間大きなニュースにもなり、全国の鉄道ファンが押し寄せ、ここにきて天空に浮かぶ駅や沿線の絶景が改めて注目されたが、なんとかしてそんなことを活かせる手立てはないのだろうかと思う。

天空の駅、宇津井駅(出所:おくたま経済新聞)

地元では廃線決定後も、沿線住民・自治体による鉄道資産の活用と沿線地域の再生に向けた動きとして複数の団体と個人とで「三江線地域フォーラム」が結成され、廃線利用の地域起こしの動きもあるそうだ。

関耕平氏は最後にこう記す。
「歴史を振り返れば太古の昔から江の川流域を通じた交易があり、近代になってこれを代替してきたのが三江線であった。こうした流域や三江線沿線の地域・人の「つながり」、一体性が再生されていくなかで、流域・沿線地域全体の発展を担う主体が形成されつつある。この動きを国や県行政がしっかりと後押しできるかどうかが問われている」

今、この国では鉄道廃線に限らず、規制緩和や資本の論理、企業の論理で次々に地域生活が崩壊しているように思う。おそらくJRが国鉄のままだったら、そう簡単に廃線というようなことにはならなかったんじゃないだろうか。民営化はやはり企業論理が最優先。安全は二の次になり、さまざまな事故が起きている。そこにどう規制をかけていくのか。いろんなことを考えてしまう、わが故郷の鉄道廃線事情やね。
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