日本のフォークソングの源流、笠木透さんが亡くなった。
フォークジャンボリーの仕掛け人で、これを機にフォークソングが音楽産業に取り込まれていくが、本人は決して東京の芸能界には進まず、フィールド・フォークを提唱し、その生涯を庶民の暮らしの中の音楽に捧げてきた。
笠木透さんの音楽との出会いは、大学のうたごえサークルだった。
「私に人生といえるものがあるなら」「わが大地のうた」「私の子どもたちへ」をはじめとする数多くの彼の作詞・作曲した音楽が、社会的政治的関心を強く抱いていた若い体の中に染み、仲間たちと歌ってきた。
また笠木さんの幾つものコンサートも聴きに出かけた。そのすべてがまったくメジャーな音楽世界とは無縁のステージだった。
誰か有名な人が作った歌じゃなくて、自分たちが生きているそのままを歌い上げることの、面白さ、その生き生き感を自身の生き様として示してくれた。
人生の喜びの歌、闘いの歌、抵抗の歌、悲しみの歌…。全国あちこちに出かけて、その地の人々の生き様に触れ、歌を作ってきた。
この20年ぐらいでは、憲法の歌、反原発の歌、従軍慰安婦被害者の歌などが印象に残っている。
コンサートではユーモアいっぱいに、時には平和を脅かすものたちへ怒りをあげ、人々の暮らしを破壊するものへの厳しい批判の声を発し、会場はいつも権力者の滑稽さに笑いがあふれていた。
77歳の大往生だけど、きっと今の日本の現状を強く憂いながら、まだまだ歌を作り、歌い続けたかったにちがいないだろうと思う。
最近は仕事の忙しさにかまけて、ギターを手にすることがめっきり減っているけど、笠木さんの想いをあらためて自分なりに解して、やっぱりフォークソングを歌っていこうと決意を新たにさせられた。