『この国に生まれてよかったか』(大生連編)の書評を原野早知子さん(弁護士)からいただきました。ありがとうございました。(民法協機関紙『民主法律時報』2008年6月27日号に掲載されていたものをご本人の了解の上、以下に紹介させていただきます)
生活保護は収入がなくなったときのセーフティーネットだ。困った人がいたら、とにかく生活保護を受ければ何とかなる。そう思っていた。
受給するまでに様々なハードルがあり、なかなか受給に至るのが大変なことは知っていたが、受給後の「生活保護」の中身に思いを致したことはほとんどなかった。この本に集められた「生活保護利用者」の声は、受給の際の不条理な「条件」の告発でもあるが、私が衝撃を受けたのは「生活保護」の内容だった。
1日3食食べることができない。毎日風呂に入ることができない。お金がいるので冠婚葬祭にも顔を出せない。友人との付き合いもできない。旅行やレジャーなど論外。
生活保護は、憲法25条の「健康で文化的な最低限度の生活」を保障するものだったはずである。しかし、食ペることすらぎりぎり、人との付き合いもできず、ただ生きているだけという生活が「健康で文化的な最低限度の生活」と果たして言えるのだろうか。しかも、そこから更に、母子加算が削られ、医療費が有料化されようとしている・・・。
その昔、「朝日訴訟」という裁判があった。結核療養所に入所して生活保護を受給していた朝日茂さんという方が受給額の減額を違法だとして訴えた裁判だ。結核療養所では、亡くなった患者の寝間着を死体から脱がせ、それを生きている患者が着なければならなかったという。朝日茂さんはそのような生活が「健康で文化的な最低限度の生活」といえるかを問うたのである。
私は「朝日訴訟」は過去の事件だと思っていた。しかし、この本は、この国の至るところに、「健康で文化的な最低限度の生活」の保障を訴える「朝日さん]がいること、この国の生活保護行政が決して「朝日訴訟」を過去のものにできない、極めて低レベルの状況であり続けていることを教えてくれる。
所得格差が増大し、「ワーキングプア]が200 万人と言われる「この国」 。生活保護の必要性はますます大きくなっている。「この国に生まれてよかった」といえる国に、社会になるために、一体自分は何をすればいいのだろうか。課題をつきつける本である。