立川反戦ビラ配布事件に最高裁が有罪の判断を下した。「官舎の管理者の意志に反して立ち入れば、住民の私生活の平穏を侵害する」と指摘し、集合住宅でのビラ配りを住居侵入罪に問うことは、憲法が保障する「表現の自由」に反しないとする初判断だそうだが、この判断を「ハイ、そうですか」と簡単に受け入れることはできない。
1.配布先が自衛隊の官舎であったこと、2.ビラの内容が自衛隊のイラク派遣反対を主張する内容であったこと、3.いきなり逮捕し2ヵ月あまりも勾留したこと、4.逮捕が自衛隊の情報保全隊と立川警察署によって仕組まれたもので、周到に準備されていたものであったこと~などを考えるとどうも素直には納得できない。
もしこれが普通の商業ビラだったらどうだったのだろうか。宅配ピザのチラシ配布も同様に逮捕するのだろうか。判決に従えばその場合も逮捕されるということになるようだが。当初の起訴段階で検事が「反自衛隊的ビラである点に注目した」と述べたと新聞記事に書いてあったが、それならばビラの内容が問題だということになるから、それはそれでまた別の争いになってくるが、しかし、今回の判決はそのことには触れていない。とにかく管理者がダメと言ったからダメだという感じで、これってそれで本当にいいのだろうか。
読者=住民の側から考えるとどうなのだろうか。ビラが投入された。手にした。読んだ。そこでようやく初めてその中身の善し悪しとか、気に入らないとか、邪魔になるとか、そうかそういう意見もあるかとか、自分の頭で考え、判断するという行為を読者は出来るようになわけで、「表現の自由」というならばやはりそこまでは保障していかないと意味がないのではないかと思う。それ以前の段階で断つということは逆に読者=住民の側の「知る権利」を奪うことにならないのだろういか。特売セールの案内とか、新しいピザ屋がオープンしたとか、あるいは他にもいろんなそこの住民にとっていい事や便利な情報が断たれることになるわけで、それってどうも変な気がする。たまたま今回の現場は自衛隊官舎であったが、一般に考えてもそういう管理がされているような場所とは、そこの住民にとってどういうものなのだろうか? それで住みやすい場所、あるいは社会と言えるのだろうか?