知らないことは罪 ゆうき先生への手紙
///土曜授業への怒り///
あなたは、先日、支援学級在籍の六年生のあおいさんの日記を読んで考えさせられたと言っていましたね。土曜授業の実施決定の知らせを聞いた時のあの子の日記です。
「反対です。ひきょうじゃないですか。毎日やすみがないですか。おこっています。さいあくじゃないですか。じんせいおわっています。じごくです。なんでそんなことするんですか。ほんまにさいあくじゃないですか。なんでいけんきかないんですか。ありえませんですか。おわっています。(一部略)その日はな、あそぶ日と、ゆっくりする日なんですよ。ずるやすみします。かなしいです。あそびほうだいのじゅぎょうにしてください。人のきもちかんがえてください。ねころがります。めんどくさい~。おたのしみ会します。なんで土曜日にしたんですか。ゆるしません。ぜんぜんスカッとしませんよ~。人の時間とりもどしてください~。ちょう反対です~」
支援学級の先生が、これは「子どもの権利条約が保障する子どもの意見表明権」で、非常に大切なことだと語られる姿を見て「ぼくはもっと世の中のことに目を開いて、教育のことを考えていかないといけないなあ」と話していましたね。そんなふうに感じられたあなたの感性が素敵だなと思いました。
///エリート育成の陰で///
2020年に指導要領が改訂され(全面実施)980時間でも限界といわれた授業時間数が1015時間になりますよね。だから土曜授業がまた始まるのです。競争主義、能力主義が一層激しくなり「特に優れた能力を伸ばすための特別な教育プログラムの編成・実施」が提言され、大阪でも早速、グローバル人材育成のためのスーパーエリート育成が叫ばれています。
勧誘のように戦争する力に利用されるということが出てくるかもしれません。
昨年、戦争法が強行採決された時、自衛隊員の息子 その陰で「能力のない人材」切り捨てが進められているから恐ろしいのです。7月、相模原の障害者施設で19人が殺されました。役に立たない能力のない人間は世の中で生かしておくのは税金の無駄という考えで、これは単に異常な青年の異常な事件と言えるでしょうか。いえ、今日の政治や経済、それに直結する教育のあり方が能力主義になってきているからなのです。
あなたは、クラスの子どもたちを切り捨てるわけにはいかない、と昨日も遅くまでわり算のわからない子を一生懸命教えていて「『わかった』と叫んだあの顔が忘れられない。こんな時、先生って一番嬉しいですね」とメールをくれましたね。
そうですよね。なのに国の教育政策は、人材育成のもとで公然と、できない子の切り捨てをやろうとしているのです。切り捨てられた子どもたちは黙ってはいません。「先生、ぼくも賢くなりたいよ~」という言葉のかわりに、暴力をふるい、いじめをし、不登校になる子もいるのです。その子たちに、心がけのよい子であれと諭す「道徳教育」の教科化も同時に導入されましたね。なぜ今、道徳なのか、背景を知ると許せないですよね。
///再び戦争する国へ///
もっと言うと、落ちこぼされた子どもたちが大きくなり、仕事にもつけなかったり、低賃金で働かされ、貧しい生活を強いられるでしょ。そうすると、アメリカの軍隊のを持つ教え子の母親から、不安の電話が入りました。皮膚感覚でぞーっとしたのです。
今またあの戦闘中の南スーダンへ武器を持って隊員が青森空港から飛び立ちましたね。知っていますか。あの空港で、夫婦が涙の別れをしたり、親子が抱き合って見送る姿を見て、えー、これってあの時の戦争風景ではないか、といたたまれない気持ちになりました。
子どもがかわいい、いい先生になりたいと毎日必死でがんばっているあなたは素敵です。
でも今のあなたは、なぜ土曜授業か、なぜ道徳か、なぜエリート人材育成か、なぜ南スーダンなのか…それが見えていません。知らないことは罪です。
目の前の子らの幸せを願うあなただからこそ、今の世の中の動きを知る学びもして、真に平和と真理を追求する本物の教師になってほしいと願っています。
(とさ・いくこ和歌山大学講師)