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ジョルジュの窓

乳がんのこと、食べること、生きること、死ぬこと、
大切なこと、くだらないこと、
いろんなことについて、考えたい。

大台

2007-06-25 | なんでもないこと
大台に乗りました。

50歳になりました。

半世紀です!

自分でも、びっくらです!







子どもの頃は ノストラダムスの予言の頃に 命を失ってもいいと思っていた。

だいたいが、40歳になる自分なんて、想像できなかった。

年をとりたいとも思わなかったし 長生きしたいとも思わなかった。

もっと若いうちに 死んでしまいたかった。

(自分が がんになるとも思わなかった。)





小学校に入学した時に 東京オリンピックがあった。

日本の国旗は日の丸だと教わり、
♪「ああ、美しい、日本の旗は~」という歌を教わり、
白い紙に 赤いクレヨンで 日の丸を描いた。

最初は楽しかったけど
来る日も来る日も 日の丸を描かされた。

「みんなが あんまり上手だから、
 いっぱい描いてもらいましょう。」

描いた日の丸には 篠竹を短く切ったものを
ノリで張り合わせた。



ある日 篠竹を貼り付けた旗を持って 沿道に並び、
聖火ランナーを見送った。

聖火は消えているように見えた。

ただ ゆらゆらと 陽炎だけが 立ち昇っていた。

聖火は ギリシャからやってきて 
それを 消えないように 繋いで繋いで 
東京オリンピックの開幕の日まで
何人ものランナーが走り持っていくのだ、と聞かされていたから

「消えちゃってる!」と心配して
家に帰って 両親に報告したら 笑われた。

しばらくして あの たくさん描かされた日の丸は
いったい誰の手に 旗となって渡ったのだろう?と思った。

そんなこんなと、
赤い色だけが小さくなってしまったクレヨン。

それが 私の 東京オリンピックだった。






梅550グラム、ひとつ腐らせてしまって 約500グラム。これをすりおろす。
甜菜糖を、なんと300グラムも入れた!
普通の鍋でジャムを作ったこともあるが、梅ジャムだけはホウロウ鍋で作る。



小学校を卒業する頃に始まった、万国博覧会。

私は春休みに 小学生料金で行った。

お寺の住職をしている伯父とその友人たちのグループに
父と姉と一緒に同行させてもらった。

生まれて初めてグリーン車というのに乗り、
足置き台がラクチンなのに感激した。

多分 新幹線にも乗ったと思う。。。(汗)



アメリカ館、ソビエト館は 行列が凄くて 並ばなかった。

けれど 日本が豊かになったのを実感し
(そんなことは考えちゃいなかったが、確かに、感じた!)、

世界との繋がりを体感し、

自分の世界が 広がっていくのを感じた。

この時 
伯父の紹介で 大阪郊外の寺院の宿坊に投宿し、
宿坊料理を堪能している。







ふたビンのジャムになった。甘さはちょうどいいと思う。酸味もある。
青くて固い梅が すりおろしやすいと思う。根気が要る。
この時 たくさん作る人は ゴム手袋をつける必要がある。



大学は4年で卒業した。

就職して6年働いた。

東京人だったのは10年間。

バブルと呼ばれる時代に入っていた。

就職してからも ビンボーだったのと
飲みに行くのが好きでなかったのとで
とうとう一度もディスコに行かなかった。

こんなオンナノコは 当時 珍しかったと思う。






レモンをたっぷり絞って しっかり煮詰めたら
固めに仕上がった、ラズベリージャム。
牛乳やヨーグルトは 控えめにしている私だが
こればかりはヨーグルトに入れたい。



当地に来て 子どもを産んで。

苦労を重ねて?

ようやくラクになった時にがんとわかって。

それでもしぶとく生きている。

これからも しばらくは 生き続けるつもり(笑)。



イバラキの小さな貧しい茅葺きの寺院で
へその緒に絡まりつつ生まれた女の子が
50年生きてきた。

最近では ガーデニングの他に ブログなるものを楽しんでいて
パソコンを手放せない。

またそろそろ オフ会をしたいのだけれど
(東京駅、久々に 先日 行っちゃったしね~。)
予定が立てられなくて 断念中。