吉野ヶ里遺跡「謎のエリア」から見つかった石棺の掘り下げ、作業終了とのこと。
「謎のエリア」とは、遺跡中心部の近くにあって、最近まで日吉神社があったため調査されてこなかったエリア。
このたび、神社が移転したため、発掘できるようになったのだと。
「北墳丘墓」という、過去に有力者の墓が見つかっているエリアから、西側100メートルほどの場所にあるそう。
●佐賀県文化財保護・活用室の公式ツイッター(吉野ヶ里遺跡の発掘調査@ナゾホルよしのがり@yoshinogari_fun)によると、
【6月14日 調査状況】
石棺内部を床面まで掘り下げましたが、副葬品や人骨などは確認されませんでした。
床面にも赤色顔料が確認できましたので、石棺内部は赤く塗られていたと考えられます。
とのこと。
ニュース映像を見るに、土が大量に流入していた様子。
人骨などは土に還ってしまったのかな。
土ってすごいな…。
さすがに1800年くらい土にさらされたら、有機物なんてなくなるか…。
●佐賀新聞(6月14日)の記事
長年、調査を担当してきた七田忠昭佐賀城本丸歴史館館長は「現段階では(被葬者は)宗教的な有力者と考えられる。石棺墓周辺を調べれば、他者から隔絶する溝など階層を考えるヒントが出てくるかも。まだ4割は掘られていない」。
9月に再開する未発掘エリア調査への期待を口にする。
まだまだ調査は続いていくのですね。
石棺内部や床面に塗られていた赤色顔料。
石棺の蓋石の裏側に刻まれていた線刻。
一体何なんだろう。気になるし知りたい。
特に線刻の意味合いは気になる。まじない的なものとも言われるが、文字的な用途のものかもしれない。
今回発掘したエリアは見晴らしのいい丘だそう。きっと当時の大切なリーダーなりご親族なりを埋葬したんだろうかと想像。
以前、子どもの夏休みの自由研究で近隣の古墳をいくつか探索したけれど、やはり見晴らしのよさそうな小高いところにあった。
実際に墳丘を歩いてみて、そこからの景色も眺めてみると、埋葬した側の被葬者への思いを感じたものだった。
安らかに眠ってほしいという鎮魂、見守っていてほしいという思慕、大きくいえば優しさのようなものを。
過去のお墓を暴く、覗くなんて、一見ぎょっとするような行為。
でも、暴かせてもらう過程で、当時の人々の死者への思いの痕跡が見られ、心打たれる。
それにしても、九州北部の地名には古の呼び名の痕跡が残っているんですね。ロマンがあるなあ。
糸島 松浦 壱岐
伊都国 末盧国 一支国
邪馬台国がどこにあったか、九州か近畿か! という妙な煽りより、
遥か遠い昔、そこには何があったのか正しくわかりたい。
というシンプルな気持ちで発掘調査のニュースが気にかかります。