ー世界遺産薬師寺 奉納大歌舞伎ー
世界遺産の薬師寺で催された奉納大歌舞伎「船弁慶」=2日夜、奈良市、筋野健太撮影
元の記事はこちら。
http://www.asahi.com/showbiz/stage/kabuki/OSK201008020134.html
平城遷都1300年祭を記念した「世界遺産薬師寺 奉納歌舞伎」を見に行きました。
薬師寺に行くのはおよそ30年ぶりです。
たしか、1976年の金堂の落慶法要に行ったんだと思います。
奈良でお勤めしていたので。
うわあ、34年ぶり?!
その時は、職場の上司と一緒で、お寺にはまったく興味もなく好奇心だけで行きましたが、その時の金堂で、歌舞伎を見るなんて、不思議な気持ちです。
開演前の境内の様子。
始めの演目は、鼓と笛で暑さを鎮めるような「一調一管」。
観客席がシーンとなったところで、橋懸かりから弁慶(中村勘太郎)が現れました。
「舟弁慶」の始まりです。
「舟弁慶」
能楽の演目である「舟弁慶」を明治18年に河竹黙阿弥(作詞)・三世杵屋正二郎(作曲)・九世市川団十郎(主演)により、東京新富座で初演された。団十朗が制定した「新歌舞伎十八番」の一つ。昭和に入り、六世尾上菊五郎が演出を加えて完成させたものが、現在演じられている。
既に太陽は沈んでいましたが、境内には真昼の暑さが淀んでいました。
観客も汗を拭きながらの鑑賞となりましたが、舞台におられる演者の皆さんは、どれほどか…。
次に現れたのは家来を伴った義経(中村七之助)。
義経は、平家を壇ノ浦まで追いつめ、滅亡に至らせた功労者でしたが、義経の兄頼朝は梶原景時らの讒言(ざんげん)を真に受けて、義経討伐を臣下に命じたのです。
落人となった義経は、少ない家臣を連れて、尼崎の大物の浦から船で西国へ落ちていくところです。
義経は、愛妾静御前(中村勘三郎)を伴っていましたが、弁慶はこれからの厳しい道のりを考え、静は都へ帰らせた方がいいと進言します。
その進言を義経は受け入れますが、静に弁慶が告げても、静は義経の心変わりを心配して応じません。
義経から直々、静の身を案じてのことだと聞かされ、都へ帰ることを納得します。
静は義経の求めに応じて舞を舞い、辛い別れをします。
船頭に導かれて一行は船に乗りますが、怪しい雲行きです。
ひるむ義経を叱咤して、弁慶は船を出航させました。
沖に出ると、波が荒れてそこには凄まじい形相の知盛の幽霊が現れました。
前シテの静御前の静と、後シテの知盛の霊の動を、中村勘三郎が演じ分けるところが見所です。
知盛の霊が舞台の真ん中で荒れ狂うと、金堂の奥の本尊薬師如来を始めとする三尊像が、優しいまなざしで舞台を見ている姿が、浮かび上がりました。
義経はひるまず刀を振り上げて勇猛ですが、弁慶は必死で祈り、知盛の霊を退散させました。
知盛の引っ込みが、とても感動的でした。
勘三郎さん、素晴らしいです。
熱い(+暑い)舞台の余韻を残しつつ、役者たちが再び舞台に現れ、アンコールに応えてくれました。
玄裝三蔵院も公開されていたので、平山郁夫さんの「大唐西域壁画」も鑑賞して帰りました。
平山郁夫さんも、お亡くなりになったのですね。
3日も同じ演目を鑑賞しました。
加筆補足します。
私が昨日金堂が舞台だと思い込んでいた建物は、大講堂の間違いでした。
浮かび上がる仏様は薬師三尊像ではなく、弥勒三尊像でした。
ここで薬師寺のご説明をしましょう。
(ウィキペディアやお寺のホームページを参考にまとめてみました)
薬師寺は天武天皇9年(680年)、天武天皇の発願により、飛鳥の藤原京(奈良県橿原市城殿(きどの)町)の地に造営が開始され、平城遷都後の8世紀初めに現在地の西ノ京に移転したものです。
「日本書紀」によると、680年、天武天皇が後の持統天皇となる妻の鵜野讃良(うののさらら)皇后の病気平癒を祈願して、薬師寺建立を発願したとされます。
金堂には薬師三尊像が祀られています。
中央に薬師如来、向かって右に日光菩薩、左には月光菩薩が柔らかな表情でたたずんでおられます。
昨日は、舞台が終わった後、金堂にお参りすることができました。
天武天皇は寺の完成を見ずに没し(686年)、伽藍の整備は持統天皇、文武天皇に引き継がれました。
持統天皇は、692年に最勝会で、天武天皇の菩提を弔うために阿弥陀浄土を写した大繍仏像を祀られました。
この薬師寺は、天武、持統の夫婦愛がこめられたお寺ということです。
現在講堂に祀られている仏様は弥勒三尊像です。
中央に弥勒菩薩、向かって右は法苑林菩薩[ほうおんりんぼさつ](左脇侍)で、左は大妙相菩薩[だいみょうそうぼさつ](右脇侍)です。
8月は、お盆の月です。
亡き人を偲ぶ月。
暑いけれど、この時期にお寺にお参りされる方も多いことでしょう。
仏様にお参りして、自分の心の中を顧みることも必要かもしれません。
地元の奈良での中村屋公演、史上初の薬師寺特設舞台での奉納歌舞伎、これはたぶん私の人生では最初で最後の経験だと心に期して凄まじいチケット争奪戦を執念でかいくぐり、前から4列目中央の良席に恵まれました。
周りはクラブツーリズムのツアー客で溢れかえりむせかえるような暑さの中、あの衣装を纏っての十八代目の熱演に感動しました。
さすがに中村屋、歌舞伎の完成度が高すぎます。すばらしい!!!
先月の松竹座七月歌舞伎がすっかりくすんでしまいました。。。。
最後には全員がカーテンコールに応えてくれて本当に夢のような一夜でした。
チケット争奪戦に勝たれて、前から4列目中央とはすばらしい!!
おめでとうございました。
私も、ピアチケットの先行に応募したのですが、3日のA席しか取れませんでした。
残念でたまらないので、歌舞伎好きの友達に無理を言って、2日のS席を譲っていただきました。
というわけで、3日も鑑賞したのですが、最後列から2番目の一番端っこだったので、のんびり鑑賞することができました。
これも野外の歌舞伎の醍醐味だと思いました。
二日続けて見ても、まったく退屈することのない勘三郎さんの芸。
退屈どころか、さらに感情が高ぶって、深い感動を覚えました。
すばらしい芸の力だと思いました。
これからも勘三郎さんを応援していきたいと思います。
また、どこかで同じ舞台を見ているかもしれませんね。
よろしくお願いします。