ーツリー・オブ・ライフーTHE TREE OF LIFE
2011年 アメリカ
テレンス・マリック監督 ブラッド・ピット(オブライエン)ショーン・ペン(ジャック)ジェシカ・チャステイン(オブライエン夫人)フィオナ・ショウ(祖母)ハンター・マクラケン(若きジャック(長男))ララミー・エップラー(R.L.(次男))タイ・シェリダン(スティーヴ(三男))
【解説】
『シン・レッド・ライン』テレンス・マリック監督が、ブラッド・ピットとショーン・ペンというハリウッドの2大スターを迎えた壮大な家族物語。1950年代のテキサスを舞台に、ある一家の40年にわたる日々を描きながら、人生の根源的な意味を問い掛ける。本作で製作も務めるブラッド・ピットが厳格な父親を熱演し、その成人した息子をショーン・ペンが好演する。何げない日常の風景を鮮烈に映し出すマリック監督の映像美に酔う。
【あらすじ】
1950年代、オブライエン夫妻は3人の息子にも恵まれ、テキサスの小さな町で満ち足りた生活を送っていた。一家の大黒柱の父親(ブラッド・ピット)は西部男らしく子どもたちに厳しく接し、逆に母親(ジェシカ・チャステイン)がすべての愛情を彼らに注ぎ込んでいた。一見幸福そうに見える家族の中で、長男ジャックは孤独を感じ……。(シネマトゥデイ)
【感想】
この映画は、商業ベースにのって上映されるための映画ではありません。
カンヌ映画祭パルム・ドール賞受賞という事実がエンタメを求める観客には難しいということをあらわしていると思います。
つまり、エンタメ作品ではないということです。
そこのところを、頭に入れて見に行ってくださいね。
当然、悪い作品ではありません。
評判が悪いのは、宣伝の仕方が間違っているからです。
宣伝が言っているような、家族愛の感動ものはありません。
私の印象では、別に難解な作品というわけではないのですが、ちっとも楽しくないと思いました。
さらに、後半になってで気分が悪くなってきたのですが、これは、出ぶれカメラ撮影によるものだと気がつきました。
スクーリーンが大き過ぎて、人の表情のアップが多過ぎて、私が見るには席が前過ぎました。
これから見る方には、映画館の後方のお席をお薦めします。
マイナス面ばかりを言い募ってきましたが、さすが、パルム・ドール賞というところもたくさんありました。
☆ネタバレ
地球誕生や、生命誕生など、いろんなイメージ映像が出てきますが、その迫力には圧倒されます。
恐竜が、寝ている別の恐竜を踏みつけて、でも、傷つけることなく立ち去る美しいシーンがありましたが、あれは感情の芽生えを表現していたのでしょうか?
素敵でした。
これは、主人公ジャック(少年期=ハンター・マクラケン、大人=ショーン・ペン)の「神とは何か」「どこにいるのか」という問いに対して、神とはこういう大きな仕事をした存在なのだということかなあ、と思いました。
大人になったジャック(ショーン・ペン)
それは冒頭に示される「ヨブ記」で、初めて神の声を聞く一文にも現れていると思いました。
「私が大地を据えたとき,お前はどこにいたのか?」
人は、天地創造には関与していないということでしょうか?
難しいですね。
たぶん、ジャック=監督は、いわゆる全知全能の神はいないということを証明しようとしているんじゃないかなあ?
それは、水死する少年や、自分の弟の死など、「悪いことをして罰せられたのではない」ということを知るときに思うのでしょうね。
あるときは、家庭で絶対的な力を持つ父(ブラッド・ピット)=神=悪だと考え、そうだとしたら、努力して善人になる必要はないと考える。
母(ジェシカ・チャステイン)は慈悲深く、寛容だけれども、父から尊重されず無力だ。
母=神=弱さだと考えます。
「神はどこにいる」と答えを求めても、神を見つけられない。
大人になった主人公は、エレベーターに乗り、天を目指し、幻想の中で天国の門をくぐり、死者の群れに会います。
そこに神はいたのでしょうか?
この作品は、そういう宗教的な葛藤よりも、抑圧的な父に反抗し、優しい母を軽蔑して、優しい弟をいじめる少年の姿。
一方で、女性に興味を持ち、下着を盗んでその罪悪感にうちひしがれる。
ありがちな思春期の少年の、心の成長記録でした。
抑圧的な父、無力な母親は、私にも重なりました。
虚勢を張っている父を憐れみ、母は欺瞞敵だと批判して青春期を過ごしたなあ。
そのときの悶々としたものが、大人になって振り返ったときに、宗教的な疑問が具体的なイメージとなって押し寄せてきたという感じでした。
結論は観客に委ねられていますが、キリスト教的宗教観などわからない日本人の私から見ると、「悠久の時空の中で、脈々と受け継がれてきた生命エネルギー一つとして、今ここで生かされている私」を再確認する作品じゃないかあと思いました。
次男はブラット・ピットにそっくりでした。