温室効果ガス問題 短絡的な日本1

温室効果ガス問題 短絡的な日本1      2009.6.23.  金森正臣

 京都議定書以降の、地球温暖化問題に関連して、最近温室ガス問題が様々なところで取り上げられている。その議論を聞いていると、あまりに短絡的で、本質から離れていることが悲しい。どの議論も炭酸ガスや様々なガスを少なくすることを、なんとか技術でカバーしようとしている。目の前の問題に対処しているだけで、総合的、基本的問題からは、かけ離れた議論に聞こえる。

 クリーンエネルギーを開発することが主体で有って、使うことを少なくする議論は無い。断熱材を多く使った家を建てて、暖房にも空冷にも効率が良いと言う。一見排出するガスは少なそうであるが、断熱材や工事がエネルギーを使わずに出来る訳では無い。ハイブリっとカーが、環境にやさしいと言うが、それを作るために使ったエネルギーは、計算されていない。

 そもそも30年以上前に環境問題がいずれ来るであろうと問題になり始めたころ、基本的な問題として挙げられたのは、地球上の人口を少なくするか、使わなくするかで有った。他には道が探せなかった。地球上の人口を少なくすることは、誰にも生きる権利が平等にある限り不可能である。とすれば残る道は、使うエネルギーを少なくすることである。大量生産、大量消費が良いこととされた時代であったから、多くの人々はこの意見に耳を傾けなかった。現在もそれが続いている。

 日本に居ると気がつかないが、大量のエネルギーに頼って生きる社会は、明らかに歪んできている。子どもが、自分の貰った遺伝子の能力を十分に育てることが出来ないまま成長してきている。そのためにストレスが多く、不安が大きい。自分自身の生きる技術を、育てられないまま、大人になってしまう。遺伝子には、使わないと十分に能力を発揮できないものが多い。特に社会性の発達などには、この傾向が強い。そのために多量のエネルギーを使った社会では、自殺や原因不明の銃などによる殺りくが多くなると思われる。もっと全体を見て、何が必要であるかを考えなければならない。大量消費社会では、現在よりも生活を不便にすることに大きな抵抗がある。しかし、便利な生活から我々は、何を得てきたかを十分に検証しなければならない。決して幸福は得られていない。不便になると不幸になるように思っているのは、幻想であることに気がつくことは相当な努力がいる。しかし、途上国に居ると、彼らの貧しい生活が、決して不幸では無いことに気が付く。しかしそれも、多くの人が気がつくわけでは無い。途上国に居ても、日本の呪縛から離れられない人は多い。自分の人生に何が必要なのかを見つめない限り、本当の答えは出てこない。環境問題は、人生の有り様を考えるチャンスである。
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