金森正臣先生のカンボジアの文化・教育・食べ歩き体験記
金森先生のカンボジア日記
カンボジアの子ども達 7 路上生活者の子ども 売られた?
カンボジアから 金森正臣(2006.01.16.)
カンボジアの子ども達 7 路上生活者の子ども 売られた?
写真:この写真には2組の路上生活者が写っている。歩道上に転がっているボロ切れの様に見えるのが、二組の夫婦である。向こう側の夫婦は、いつもは寺の反対側の門前にいる。手前の夫婦が、何時も私が通るこちら側の門の前にいる夫婦である。これは昼間の写真だが、夜間もこの辺でゴロゴロしているので、私は路上生活者と認定している。
大きなお寺の門前には、良く路上生活者がいる。一時的な路上生活者もいるし、結構長い期間観察される者もいる。カンボジアの様に、寒くない国は路上生活には適している。日本の様に冬があると、何とも生活できなくなるが、熱帯ではそんな心配はない。
ただ、食料だけは必要であるから、大きな寺の門前で生活するのは賢い。葬式や法事・寺の縁日があると、食べ残しの食料は山ほど出るから、当分困らない。但し、冷蔵庫があるわけではないから、工夫しても限度がある。
葬儀や法事の時には、人々はこの様な乞食さん達にもなにがしかを渡している。結構なお布施を貰えるらしい。
1月11日は、お葬式にお日柄が良(?)かったのか、朝の散歩の時だけで3組の葬式の行列に遭遇した。一つの葬式の行列が通過するには、20分ぐらいかかるから交通は渋滞して大変であるが、この時には誰も文句は言わない。最もカンボジア人は、交通の渋滞に対して大らかで、道路封鎖の結婚式や葬儀にも誰も喧嘩を売たり、怒ったりしない。
あちこちのお寺で葬儀が行われると、門前の路上生活者も、お寺のハシゴをしている。あちこち回って、お金を貰ったり、食べ物を貰ったりしているのであろう。私が路上生活者だと思っているこの女性も、3カ所のお寺のハシゴをしていた。
写真手前のこの夫婦は一昨年から観察しており、2004年の3月頃には、3人の子どもがいた。その頃一番上の6-7才になった男の子がどこかに消え、下に男の子どもが産まれた。その後3人の子どもは、一緒に暮らしていた。2005年の3月に来た時にも、3人の子どもは一緒に暮らしていた。しかし5月頃になると、6才ぐらいと3才ぐらいの子どもが、消えてしまった。
因みに、この路上生活者が、近くのレストランや路上で物乞いをしているところを見たことがない。だから専門の乞食業とも異なるし、晴れ時々乞食と言った兼業乞食職とも異なる。また働いているところも見たことがないので、純粋にお寺の門前の収入だけで生活していると思われる。なんだか路上生活者にも、こだわりの生活哲学がある様だ。
子どもがいなくなった後この母親は、かなり金回りが良くなり、一番下の1才ぐらいの子どもに、アイスキャンデーなどを買い与えている。時々は向かいのレストランで、テイクアウトの弁当などを買ってきて夫婦と子どもで食べている。ウーン、子どもを売ってしまったのかナー?
時にはシクロ(3輪自転車のタクシー)の運転手達と、トランプの賭け事をしていたこともある。そんなところにお金を使ってしまってと思うのだが。儲かっているのかナー?
カンボジアでは、様々なボランティア団体もあって、養育できない子どもを引き取って教育したりしていると聞く。
一方、子どものない外国人に子どもを売るのも結構あるらしい。NGOが目を光らせている様だが、それでも外国に売られる例は跡を絶たないと言う。
写真の向こう側の夫婦にも、2人の女の子と男の子がいたはずである。一番上は女の子で、もう7才にはなっているだろう。でもここのところ一番下の1人しか見えない。どうなっているのだろうかと思うが、良く分からない。ウーン?
途上国の子ども達の観察を報告するのは、子ども達の育ち方が理想的だから日本と比較しているわけではない。人間は太古以来数百万年を、子どもの教育のための教科書も持たず、教育のための教育も、出産のための教育も受けずに生きてきた。現在の日本では、様々な子育てのマニュアルがあり、多くの教育を受け、様々な考えがあって子育てが行われている。しかしながらどこか本質を踏み外している感がある。
一つは理屈(理論)が先行しすぎるのであろう。理論は、観点が一つの場合には通用するが、子育ての様に様々な観点が必要になり複雑になると、どれが正しいか不明になる。2つには、親や先生が不安を抱えており、何かの正しいとされる理論にしがみつくからであろう。自分が生きるための感性が使えなくなる。自分の中に湧き起こってきている、内なる自然からの要求を、感じ取れなくなっている。このため本来遺伝子が持っている能力が使えないまま、あれこれと理屈に走る。
この様な現象は、日本にいると何の疑問も持たないかも知れない。極めて原始的感覚を残している(全ての面で残しているわけではない)途上国の現象を見ていると、比較してみることが必要であろうと思われる。
皆さんは、どの様に思われるだろうか。
カンボジアの子ども達 7 路上生活者の子ども 売られた?
写真:この写真には2組の路上生活者が写っている。歩道上に転がっているボロ切れの様に見えるのが、二組の夫婦である。向こう側の夫婦は、いつもは寺の反対側の門前にいる。手前の夫婦が、何時も私が通るこちら側の門の前にいる夫婦である。これは昼間の写真だが、夜間もこの辺でゴロゴロしているので、私は路上生活者と認定している。
大きなお寺の門前には、良く路上生活者がいる。一時的な路上生活者もいるし、結構長い期間観察される者もいる。カンボジアの様に、寒くない国は路上生活には適している。日本の様に冬があると、何とも生活できなくなるが、熱帯ではそんな心配はない。
ただ、食料だけは必要であるから、大きな寺の門前で生活するのは賢い。葬式や法事・寺の縁日があると、食べ残しの食料は山ほど出るから、当分困らない。但し、冷蔵庫があるわけではないから、工夫しても限度がある。
葬儀や法事の時には、人々はこの様な乞食さん達にもなにがしかを渡している。結構なお布施を貰えるらしい。
1月11日は、お葬式にお日柄が良(?)かったのか、朝の散歩の時だけで3組の葬式の行列に遭遇した。一つの葬式の行列が通過するには、20分ぐらいかかるから交通は渋滞して大変であるが、この時には誰も文句は言わない。最もカンボジア人は、交通の渋滞に対して大らかで、道路封鎖の結婚式や葬儀にも誰も喧嘩を売たり、怒ったりしない。
あちこちのお寺で葬儀が行われると、門前の路上生活者も、お寺のハシゴをしている。あちこち回って、お金を貰ったり、食べ物を貰ったりしているのであろう。私が路上生活者だと思っているこの女性も、3カ所のお寺のハシゴをしていた。
写真手前のこの夫婦は一昨年から観察しており、2004年の3月頃には、3人の子どもがいた。その頃一番上の6-7才になった男の子がどこかに消え、下に男の子どもが産まれた。その後3人の子どもは、一緒に暮らしていた。2005年の3月に来た時にも、3人の子どもは一緒に暮らしていた。しかし5月頃になると、6才ぐらいと3才ぐらいの子どもが、消えてしまった。
因みに、この路上生活者が、近くのレストランや路上で物乞いをしているところを見たことがない。だから専門の乞食業とも異なるし、晴れ時々乞食と言った兼業乞食職とも異なる。また働いているところも見たことがないので、純粋にお寺の門前の収入だけで生活していると思われる。なんだか路上生活者にも、こだわりの生活哲学がある様だ。
子どもがいなくなった後この母親は、かなり金回りが良くなり、一番下の1才ぐらいの子どもに、アイスキャンデーなどを買い与えている。時々は向かいのレストランで、テイクアウトの弁当などを買ってきて夫婦と子どもで食べている。ウーン、子どもを売ってしまったのかナー?
時にはシクロ(3輪自転車のタクシー)の運転手達と、トランプの賭け事をしていたこともある。そんなところにお金を使ってしまってと思うのだが。儲かっているのかナー?
カンボジアでは、様々なボランティア団体もあって、養育できない子どもを引き取って教育したりしていると聞く。
一方、子どものない外国人に子どもを売るのも結構あるらしい。NGOが目を光らせている様だが、それでも外国に売られる例は跡を絶たないと言う。
写真の向こう側の夫婦にも、2人の女の子と男の子がいたはずである。一番上は女の子で、もう7才にはなっているだろう。でもここのところ一番下の1人しか見えない。どうなっているのだろうかと思うが、良く分からない。ウーン?
途上国の子ども達の観察を報告するのは、子ども達の育ち方が理想的だから日本と比較しているわけではない。人間は太古以来数百万年を、子どもの教育のための教科書も持たず、教育のための教育も、出産のための教育も受けずに生きてきた。現在の日本では、様々な子育てのマニュアルがあり、多くの教育を受け、様々な考えがあって子育てが行われている。しかしながらどこか本質を踏み外している感がある。
一つは理屈(理論)が先行しすぎるのであろう。理論は、観点が一つの場合には通用するが、子育ての様に様々な観点が必要になり複雑になると、どれが正しいか不明になる。2つには、親や先生が不安を抱えており、何かの正しいとされる理論にしがみつくからであろう。自分が生きるための感性が使えなくなる。自分の中に湧き起こってきている、内なる自然からの要求を、感じ取れなくなっている。このため本来遺伝子が持っている能力が使えないまま、あれこれと理屈に走る。
この様な現象は、日本にいると何の疑問も持たないかも知れない。極めて原始的感覚を残している(全ての面で残しているわけではない)途上国の現象を見ていると、比較してみることが必要であろうと思われる。
皆さんは、どの様に思われるだろうか。
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