ゲートボール(GB)日記

まちなかの公園でGBを楽しんでいます。GBは老若男女一緒に楽しめる数少ないスポーツの一つです。まちびと

思い出の中のゲートボール(GB)仲間1

2022年07月02日 | Weblog
過去9年の間に多くのGB仲間がいなくなりました。

私がGBを始めた当時、部員ではなかったが、大会にはうちのチームから出場した町の人が2名いました。同じ町の別の自治会に所属する人で、別の公園で練習をしていましたが、5人チームを編成することができず、うちのチームに入って大会に出ていました。

一人は私より1歳年上で、GB歴は私よりはるかに長い人でした。しかし不運にも最近白血病で亡くなってしまいました。非常に思い出深い人だったので、後ほど詳しく思い出を書きたいと思います。

今回はもう一人の人に関する思い出を書きたいと思います。

この人はすでに90歳ぐらいでした。若い頃は区のGBの先達で、自分のチームや私のチームの指導だけでなく、区GB連合のGB振興に大きく貢献したそうです。しかし、90にもなると、思考力、視力、聴力、体力が衰え、打撃、作戦ともに下手になり、その上、試合中、自分のボールを見失い、自分がコールされると、「僕のボールはどこ」と言うありさまで大会はもう無理でした。見るにみかねて私がコート内に入って彼に彼のボールを教えると私は審判に怒鳴りつけられました。親睦の大会なのに審判はきついなあと思いました。

昔はこの方は一人自腹で非常に授業料が高いGB教室に参加し、区の最初のGB指導者になったそうです。チームの育成、大会の運営に熱心で、彼のおかげで区のGBは大発展したそうです。

90歳ごろ、彼は、同じ自治会のもう一人の人と二人で彼らの公園で練習をやっていました。私は火曜日午前中暇だったので、毎火曜日、彼らの公園に行って3人で練習をしました。しかし90歳ぐらいの人はますます体が衰え、とうとう練習にも来なくなりました。大会にも出ず、連合にも顔を出さず、やがて連合を退会しました。世代が代わり、彼を思い出す区GB連合の役員はいないでしょう。

いろいろとお話を聞きたかったのですが、寡黙で、本人よりもほかの人から彼の昔の活躍ぶりを聞くことができただけで関係が終わってしまいました。今はもう一人の人が亡くなり、彼に関する情報がなくなりました。生きているのか亡くなったのかもわかりません。



最新の画像もっと見る

コメントを投稿